演出過多?

グラミー賞受賞の内田光子さんから、「世界で認められる日本人ピアニスト」繋がりで思い出しましたが、つい先日のテレビで、昨秋スイスの有名コンクールで見事優勝した日本人の女性が留学先から里帰りするのを追いかけたドキュメント番組を見ましたが、番組プロデューサーのセンスなのか本人の意向なのか、そのあたりのことはわかりませんが、マロニエ君的にはあまりいただけない内容でがっかりでした。

まず第一に、ピアノの演奏場面がほとんどなく、これだけの栄冠を勝ち取っても家に帰れば普通の女の子という日常のほうに焦点を当てたかったのかもしれませんが、いずれにしても有名国際コンクール優勝こそが注目すべき事実なのですから、やはりそのことや演奏を中心におくべきではないかと思いました。

ほんの数秒ていど流れたコンクール本選でのラヴェルのコンチェルト(両手の)は、覇気があって鮮やかで、なかなか見事なものだと思いましたから、できればせめてもうちょっと聴いてみたかったのですが、そういう場面は信じられないぐらいわずかで、あとは地元でのどうでもいいような場面が延々と映し出させるのはなんなのだろうかと思います。

出身校に凱旋訪問して後輩達から大歓迎を受けるシーンや、長年お世話になった恩師を訪ねるというあたりは、この手の番組のお約束ともいうべきものでしょうが、そのわずかな演奏から受けた好印象とは裏腹に、ガクッときたのは本人のコメントで「自分の演奏を聴いてくれた人の中に、わずかでも辛いことや悲しいことを少しでも忘れてくれる瞬間があれば、それはすごいことだと思う…」などと、今どきいいかげん聞き飽きたようなセリフで、この人なりの独自の考えや言葉が出てこなかったのはとても残念でした。

さらに見ていて説得力がなかったのは、コンクール出場中に祖母が亡くなったことをコンクール終了まで家族が敢えて伝えなかったというのですが、祖母の死に想いを馳せ、それで帰省中はまったくにピアノが弾けなくなるというくだりはいったいどういうことかと思うばかり。
ピアノの前に座っても鍵盤にまったく触れようとしないシーンなどが、いかにも芸術家がなにかにぶつかって苦悶しているという感じに映し出されますが、いくらなんでも演出過多では…。
祖母の死を重く受け止めることは大切ですが、伝統ある大コンクールに優勝して初めての凱旋帰国なのですから、もう少し素直に喜んで、地元で待ち受ける人々に少しはその演奏を披露するのがこれからステージに立つ者のせめてもの務めだろうにと思いますが。

帰国の前日になってようやくピアノに向かったその姿を、家族がそっとビデオで撮影していたということで、番組終盤にその映像が流されましたが、そこでついに弾き始めたピアノから出てきた音は、なんと祖母がよく口ずさんでいた歌だった!というもので、このあまりに仕組まれたようなお安いオチの付け方には、見ているこっちは、なんともやるせないお寒い気分になるしかありました。

小さい頃からピアノの猛練習に明け暮れ、単身ヨーロッパに留学し、来る日も来る日もなめし革のように鍛えられ、ついには大コンクールを制覇するまでに至った人なんて、良くも悪くもとてもそんな弱々しいおセンチな感性の持ち主であろう筈がないと思うのですが…。

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