エル=バシャのバッハ

新しいCDの話題をひとつ。

中東はベイルートの出身という珍しいピアニストのアブレル=ラーマン・エル=バシャは実力派のピアニストとして、もはやかなり世界的にも認知されたピアニストだといえるでしょう。
19歳のときにエリーザベト・コンクールで満場一致の優勝を果たし、以来30年余、着実なピアニストの道を歩み続けて来日回数も増やしています。
骨格のある確かな技巧と、膨大なレパートリーもこの人の特徴のひとつで、すでにベートーヴェンのソナタ全集やショパンのソロ作品全集など、録音の面でも大きな仕事をいくつも達成していますし、一説によれば協奏曲だけでも実に60曲近いレパートリーを持つというのですからタダモノではありません。

近年ではプロコフィエフのピアノ協奏曲全集を出したり、日本で録音したラヴェルの作品全集がリリースされるなど新しいCDも出てきていましたが、以前ショパンのソロ作品全集を購入してみた印象から、マロニエ君としてはその実力は充分認めつつ、わずかに完成度に欠け、積極的な魅力という点でも決定打がありませんでした。
最近の日本公演の様子(TV)をいくつか観たところでも、とても上手いし、安心して聴くことの出来るしっかりしたピアニストというのは大いに認めるものの、やはり画竜点睛を欠くという印象が残りました。

一般論として、やたらレパートリーの多い(広い)ピアニストというのは、各作品のごく深い部分に触れようとか、魂の深淵を覗かせてくれるような、いわば味わいとか真理を極めたような演奏はあまりしないもので、何を弾かせても達者に弾きこなし、そつなくまとめるという場合が多いものです。
最も代表的なのが少し前で言うとアシュケナージでしょうか。

そのエル=バシャですが、最近発売されたのがなんとバッハの平均律第1巻でした。
もし店頭でジャケットを見ただけならおそらく買うことはなかったと思いますが、試聴コーナーにこれが設置してあり、ちょっと聴いてみたところ、あの有名な第一番ハ長調のプレリュードを聴いたとたん、不覚にもいきなり引き込まれてしまったのです。あの単純なアルペジォの連続が、これほど高い密度の音楽として胸に迫ってくるのは初めての体験でした。
いくつかの前奏曲とフーガをきいているうちに、「これは…買わねばならない」というほとんど確信に近いような気持ちが湧き上がりました。

ここ最近、ピアノで弾く平均律第1巻で強く残ったのはポリーニのそれでしたが、ポリーニのふくよかで格調高い演奏に対して、エル=バシャのバッハはより鮮明かつナチュラルなアプローチですが、若い人のような無機質で器用なだけという感じではなく、あくまで生身の人間が紡ぎ出す演奏実感に溢れていることがまず印象的でした。
正統的でありながら、決して四角四面な教科書のようなバッハではなく、ここに聴く演奏は新鮮さがあり各声部が活き活きとよく歌うバッハだといえるでしょう。
これまでのエル=バシャの演奏には、達者だけれどもどこか固さや泥臭さがないわけでもなかったのですが、それらは見事なまでに消え去り、このバッハに至って、彼のこれまでのどの演奏からも聴けなかった「洗練と魅力」がついに達成されており、曲集全体が大小さまざまに呼吸をしているようでした。

ちなみに、録音は日本で行われ、使用ピアノはエル=バシャの希望によりベヒシュタインの新しいコンサートグランドであるD280が使われています。一聴したところでは、すぐにベヒシュタインとはわからないほどのスタインウェイに代表される現代的な美しいピアノの音で、録音も優秀だし、演奏が素晴らしいこともあって、そういう事は関係なく美しいピアノの音楽として聞こえるのですが、耳を凝らして注意深く聴くと、かすかにベヒシュタインの楽器の人格が確認できます。

ベヒシュタインのDNAとでもいうべきポンと鳴るアタック音の鋭さと、それに対して相対的に短い音の伸びが、却って鋭い音にからみつく余韻のように感じられ、タッチの粒立ちがよく、同時にやや素朴な印象を与える点がバッハに向いていることがわかります。
バッハにこういうピアノを選んだということにもエル=バシャの深い見識を感じさせるようだし、D280をこんなにも清冽な調整をした日本の技術者はやはり質が高いもんだと感心させられました。
マロニエ君は長いことD280については疑問ばかりがつきまとっていましたが、このCDを聴いて、ようやく現在のベヒシュタインがどういうピアノを作りたかったのかが少しわかったような気がしました。

自信を持ってオススメできるCDです。

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