異端児

日曜は久しぶりに車のクラブのミーティングに行きました。

最近はご時世故か、車そのものに対する人々の興味、とりわけ若い人達のそれが以前に較べて隔世の感があるほど低下していて、車に乗ること自体が嬉しくて遠くまで延々とツーリングをするというようなことも激減しているようです。
昔のように、爪に灯を灯すようにしてでも目指すスポーツカーを手に入れて、あれこれとチューニングして、その成果を確認すべく夜明け前から山道などに黙々と走りにいくというような人種は、めっきりいなくなりました。

とりわけマロニエ君達の好む、手のかかるマイナーなフランス車などは、カーマニア全盛期の頃でさえ異端児的存在で、置かれた状況は慢性的に恵まれることはなく、ただ単に所有して自動車として普通に乗るだけでも理不尽きわまりない苦労と忍耐の絶えないことは、およそ名うてのスーパーカーにも匹敵する困難がつきまとっていたといっても過言ではありません。

ましてや、最近のようにトヨタやニッサンでさえ国内販売の低迷に頭を抱える中、フランス車などどの角度から見てもビジネスとしてやっていける筈もなく、輸入元も取扱い車種を次々に切り捨て縮小するなど、いつこの小さな火が消えてしまうことかと思うような状況が続いています。

それでもクラブミーティングともなると普段はまず見ることのない同胞が駐車場に集まってきます。

この日は転勤で遠くに行ってしまっていた二人が福岡に戻ってきたというので、その二人が久々に参加していましたが、すでに結婚して二人の子供にも恵まれて立派な家族を成しており、時の経つのは本当に早いもの。それだけ我々が確実に年を取るはずだと思いました。

しかし数年ぶりとは思えないような昔通りの感覚で、何の違和感もなく話も大いに弾み、人というのは一時期深く付き合ってさえおけば、いつでもその当時に戻れるものだと思いました。

郊外のレストランに集合し、昼食を共にしながらしばらく歓談したあと、この日はこれという予定もなく、一人がディーラーに用があるというので、全員同行すべく30分ほどの短いドライブとなりました。

ディーラーに着いても、そこにはかつての活況は失われ、整備工場前のスペースには修理のための車は溢れているものの、販売はほとんどやっていないというか、ただ惰性で店舗のかたちをとっているだけという趣です。

車趣味、わけてもフランス車好きにとってのこれからは、さらに厳しい風雪が待ち受けるものと思われますが、その点では我々の仲間はちょっとやそっとのことでへこたれるヤワではないので、ここ当分はまだまだ乗り続けていくものと思われます。
昔から、たったひとつの部品が本国から届かないために、長いこと車が動かないだの、やっと来たかと思ったら何かの手違いで違うパーツだったり、そもそもディーラーがまともな整備上の知識がなかったりというような、普通の人から見ればおよそ許しがたいような逆境にも延々黙々と耐えてきた変な人種なだけに、その長年の鍛え込みがあるぶん、こういう時代になってもそれが強味になるだけの性根を作り上げているような気がします。

フランス車というのはピアノでいうエラールやプレイエルのような、なんともたおやかで風情のある、色とニュアンスに富んだ、一度覚えると離れられない細胞に食い込むような魅力がファンを捉えて離さない、不思議な車です。車に限らず、ピアノに限らず、フランスという国は一見わかりやすいようでさにあらず、一歩その中に入ると、非常に難解な迷路のように奥の深い世界が広がっており、こればかりは外から観光客のような視線で見ているだけでは絶対にわからないものです。

尤も、その中毒者となることがその人にとって本当に幸せな事かどうかとなると、マロニエ君自身も本当はどっちなのやらいまだによくわかりません。
ただし、ありきたりなただ平凡なものに疑問も感じず満ち足りるという安易な感覚は死滅し、常に自分でものを感じ、考え、通俗を否定し、真相を究明し、自分なりの結論を出すという、一連のフランス人的な感性のおこぼれには与れるような気がします。
異端であることが賞賛される世界、みなさんもおひとついかがでしょう。

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