音霊のひびきに

ずいぶん前にNHKで放送された『こころの時代 音霊のひびきに』という番組を録画で見ました。
ピアニストの遠藤郁子さんがショパンのピアノソロ作品全曲演奏会を8回に分けて芸大の奏楽堂で行っているのを捉えて、番組では現在の遠藤さんの心境やショパンへの取り組みをじっくりと1時間語るという充実した内容でした。

芸高から芸大に進み、1965年のショパンコンクールに出場したことを機に、ハリーナ・チェルニー=ステファンスカの内弟子として5年間ポーランドで厳しい修行に明け暮れたこと、次いでパリでペルルミュテールに師事したこと、帰国後は38歳も年上の相手と結婚し、普通の主婦以上にこなしたという主婦業、高齢の夫の病と介護、大学での指導、さらにはコンサートと息を付くひまも寝る時間もないという想像を絶する激務を続けるうちに、ついには身も心もボロボロになったこと。
その挙げ句、自身が乳ガンの宣告を受け、手術から闘病、リハビリにいたる心の移ろいなどを淡々と、しかし彼女のピアノのごとく、しっかりと腰の座った明晰な言葉で語り尽くしました。

それにしても彼女のショパンに対する真摯(というよりはほとんど宗教的)な姿勢、書き残した作品、音符のひとつひとつを「ショパンの遺言」であると捉え、分析の深さや尋常ならざる思い入れには素直に敬服したという印象でした。
最終的に、その演奏に自分が同意できるかどうかは別としても、少なくとも彼女が信じ、言わんとしていることは理解できることばかりです。

そしてなにより、質素な暮らしの中でひたすら音楽に献身し、自らの精神世界と音楽を融合させながら誇りを持って生きているという姿勢が圧倒的な力を持ってこちら側に迫ってくるようでした。
昔はいやしくも芸術家と言われるような人なら、なにかしらこういうところはあったものですが、現代ではすっかり見なくなって絶滅同然のように感じる今日、久しぶりに本物の芸術家、あるいは尊厳ある人間そのもののあるべき姿を見せられたような気がしました。

マロニエ君は遠藤郁子のピアノは嫌いではありませんが、さりとて大ファンというほどでもありません。
しかし、そんな好き嫌い以前に文化芸術のエリアに身を置いた人間の、凛としたその姿を、過去の本などではなく、現役の人間の声として触れることが出来たのはまったく溜飲の下がる思いでした。

話のすべてを肯定的に受け止めたわけではありませんでしたが、少なくともこの人にはこの人が到達したところの哲学と精神世界があり、形而上学的な世界を求めて今も彷徨っているということだけはよくわかりました。

実を言うと、マロニエ君はこの人の気味の悪い日本人形のような出で立ちでピアノを弾くセンスだけはどうしても拒絶感がありましたし、そういう奇抜な衣装を好むというセンスには最後のところで拭いきれない違和感があったのですが、今回の映像ではずいぶん印象が違っていました。

変な和服は相変わらずでしたが、白髪が増えた髪をアップに結ったことで却って気品と真っ当な威厳がそなわったようでした。
以前はまるで童女のような真っ黒のおかっぱ頭に、創作着物のような、いわゆる日本の伝統呉服とは大きく懸け離れた衣装でしたから、一種の不気味さがあり、まるで岸田劉生の麗子像がピアノを弾いているようでした。

遠藤郁子はずいぶん前からレコーディングやコンサートにはカワイをよく使うピアニストでしたが、やはり現在の連続演奏会にもシゲルカワイのEXを使っていましたから、よほど彼女が求める音があるのだろうかと思います。
しかし主に話の舞台だった自宅では、最低でも3〜40年前のスタインウェイを使っており、ときどきあれこれのパッセージを弾いてくれますが、その音は昔のスタインウェイ独特のツンとしたあの時代の音でした。

こういう人にいてもらわないことには、今の軽薄な商業主義に乗ったピアニストだけが幅を利かせるなんて、もううんざりですから、ますます頑張っていただきたいものです。

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