シフのベートーヴェン

先日のNHK芸術劇場では、アンドラーシュ・シフの来日公演の様子が放映されましたが、これが実にたいへんなものでした。
曲目は近年のシフが取り組み、CDも全集として完結したベートーヴェンのソナタで、しかもなんと、最後の3つのソナタですから、曲目を新聞で見ただけでもゾクゾクさせられます。

シフによると、この3つのソナタは3つでひとつの世界を構成しているので、ひとまとまりに演奏してこそ意味があると言い、コンサートでは途中休憩もなしに3曲が続けて演奏され、Op.109、Op.110、Op.111の間では椅子を立つこともなく、あらかじめ会場に通達されていたのか聴衆の拍手もないという徹底ぶりでした。

マロニエ君もこの晩年のソナタは3つセットで聞くことのほうが多く、この3曲によるCDも多いし、ブレンデルやポリーニなど、多くのベートーヴェン弾きがこの3曲だけのコンサートなどもやっていて、プログラム自体は決して珍しいものではありませんが、しかし休憩も拍手もなく一気に全部続けて演奏するというのは、たしかにあまりなかったように思います。

ベートーヴェンの全ピアノソナタの中での最高傑作といえば、人によっては熱情やワルトシュタイン、あるいはその革新性や規模の点でハンマークラヴィールという意見もあるでしょうが、マロニエ君はなんといってもこの最後の3つのソナタだとかねてから思っています。圧倒的に。

「今夜テレビでこの最後の3つのソナタがある」と思うだけで、昼間からもうそわそわしてしまうほどこの3曲には格別な思い入れがあり、おそらくはピアノソナタとしては空前絶後のまさに金字塔だろうと思います。
娯楽であった音楽が芸術に高められ、しかも崇高なる精神領域へとそれが登りつめたのはこの3曲であり、ハンマークラヴィールはいわばその3つの頂きの前に建てられた大伽藍、Op.101はさらにその聖域に入る門という気がします。

何気ない感じで始まるOp.109の第一楽章、激しい第二楽章を経て、第三楽章でははやくもベートーヴェン得意の主題と変奏が孤高の芸術手法によって展開され尽くされます。続くOp.110でも始まりはごくシンプルですが、忽ちにして天上的なアルペジオの上下に発展。そして短く炸裂する第二楽章ののち、第三楽章では有名な嘆きの歌とフーガがそれぞれ形を変えて二度表れますが、これはまるでバッハの平均律・前奏曲とフーガの発展であるかのような印象です。
そして最後のOp.111ではもっともベートーヴェンらしい激しいハ短調で幕が開きます。運命や悲愴、コリオラン序曲、第3ピアノ協奏曲、合唱幻想曲などはいずれもハ短調ですから、いかにこれがベートーヴェンらしい調性かが窺えます。
そしてあの天を仰ぎ、この世の地平を見渡し、すべての許しと終焉をかたりつくすような最後の楽章となり、こちらもベートーヴェンの得意とする壮大なハ長調。この第二楽章のことなどをマロニエ君ごときがあれこれと書くだけでも、あの崇高な作品に対して不敬な気がしますのでもうこれ以上妙なことを書くのは止します。

シフの演奏は、ベートーヴェンに於いては必ずしもマロニエ君は肯定的なばかりではなく、異論反論も多々ありますが、しかし、なにしろこの桁違いの神憑り的な作品を誠実に聴かせてくれただけでも頭を下げたくなるのが正直なところです。
始めは3曲続けて演奏というのは疲れるだろうかという危惧もありましたが、始まってみるとあっという間の70分でした。

そして、まさかOp.111のあとにアンコールを弾くことはあるまいと思っていたら(なぜなら弾くべき曲がないからです)、その予想はあっさりと裏切られました。
バッハの平均律第2巻のハ長調の前奏曲とフーガが演奏されましたが、この選曲がOp.111のあとのアンコール曲として相応しいかどうかは別にして、その見事なことといったらありませんでした。すごいです。
ああ、東京にはこんなコンサートがあるところがうらやましいと思います。

会場は紀尾井ホールで、マロニエ君はここのスタインウェイが以前からお気に入りなのですが、この点もやはり相変わらずの素晴らしいピアノでした。

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