整体院に通い始めてニ週目に入り、4回治療を受けました。
先生と話をしていると、ありがたいことに為になることをあれこれと教えてくださいます。
まずは当たり前のことですが、いまさらながら再認識させられたのは健康の基本のひとつは血流の良さであるという点でした。
血流が悪いとあらゆる病気の根本原因となり、なんにしても、まずこれをきちんと回復させ、良い状態を維持するような認識と努力と生活習慣が大事とのことでした。当然ですね。
とりわけ静脈はいわば血管の下水道なんだそうで、ここをきれいにしておかないことは、掃除をしていない部屋でだらしない生活をし、どろどろに汚れたキッチンで食事を作るようなものだそうです。
冷え性とか関節の痛み、ひいては精神的な領域まで、血流がよくなればかなりの部分が解決するそうですし、高血圧やコレステロール、果ては脳梗塞などもすべて血液の健康如何にかかっているのですから、まさにこれは健康の基本であり土台であるのは間違いないようです。
ここまでは誰でもある程度わかっていることですが、当たり前のようであまり意識することなく、認識を新たにさせられた点もいろいろありました。
例えば自分の身体に対しては、とても敏感でなくてはいけないということ。
人は個人差によって、体のちょっとした異変、あるいは無理と安全の境界線を感じやすい人と鈍い人がいるのだそうです。
鈍い人は、それだけなにかと体に負担をかけることが多いそうで、危険ラインを的確に見極めることができないために、本人はそんな気はないのに、結果的に体を痛めてしまうのだそうです。
スポーツの経験者は厳しいトレーニングと同時に、体調管理の必要性をたたきこまれるらしく、たとえばランニングなどをしていても、ちょっと膝の調子がおかしいなと思えば、そこでただちに走るのを止めるそうですが、そこで欲を出して無理をすると大きな故障に至ってしまうとか。
体が壊れるのはまさに一瞬のこと、しかし、それを取り戻すには長い時間がかかるのだそうです。
まあ、これは人の体に限ったことではなく、ありとあらゆる事に言えることで、物でもなんでも、壊れるのは一瞬ですが、復帰への道のりは長くて遠いものですね。
この先生が言われるには、人間の体は基本的に動かして機能を使うようにできているから、これをしないと体はいっぺんに鈍って不健康になるので、極力運動をして体を日常的に動かすことだそうです。
しかし、これには大いに但し書きがついていて、運動=スポーツのトレーニングのように考えて、無理をするのはとんでもない勘違いで、逆効果だということです。
決して無理をせず、それでいて自然な流れの中で結果として運動にも適っているというのが理想のようです。
むろん、その無理のラインも個人個人で違うのはいうまでもありません。
家人が別の医師からも聞いてきた事ですが、運動の必要性を痛感し、いい歳をした夫婦などが一念発起して夜な夜なわざとらしく大げさに手を振ってウォーキングしたり、中には小走りで夏冬関係なく無理な運動をすることに自虐的な満足を持っている人がいますが、ああいうのは百害あって一利なしだそうです。
それなりの年齢まで運動の習慣がない人が、あるときを境に心を入れ替えたつもりで人が変わったように運動に精を出したりするのは、シロウトのマロニエ君の目にもちょっと奇妙な光景に映っていましたが、やはりこういう形での運動はもっぱら体に負担をかけるだけでプラスの効果はあまりないようです。
しかし、ご当人は、すこぶるいいことをしているつもりなのだろうと思われます。
まあ、マロニエ君のような怠け者には、「無理をしてはいけない」というフレーズは、それだけでもなんとも心地よい響きなので、それでこの先生のお説がますます気に入ったのかもしれませんが