日本人

一夜明けても、昨日の大地震はやはり夢ではなかったという事実で一日がはじまりました。

東北地方の壊滅的な被害は、映像を見るだけでもなんとも言い難い驚きと重苦しい疲労を覚えます。
しだいに増大してくる犠牲者の数を知るにつけ、人間、一寸先は闇だというのも本当だとしみじみと思います。

始終この報道番組を見ているのも疲れますが、テレビを消せばなんとなく気になって、またスイッチを入れてしまったりというそんな一日で、さすがにピアノを弾くにも気が入りませんでした。

いまだに心配されるのは、一日経っても尚、福島第一原発の異常が解決されず、周辺の避難エリアが時間とともに拡大していく中、ついには被爆などという言葉まで出始めて、いやが上にも不気味な気持ちさせられます。
直ちに大事故ということでもないとは思いたいところですが、情報は錯綜し、東京電力の発表も要領を得ないとかで、とりわけ近隣のみなさんの不安はいかばかりかと思います。
この心配だけでもはやく払拭されてほしいものです。

それにしても、ひとつ感心したのは、やはり日本人の民族としての質の高さです。
もしこれが外国での災害であれば、国によってはこんな被災時につきものの悪辣な行為として、この機に乗じて商店などからの略奪行為などが次々に繰り返されるなど決して珍しくはないところですが、そんなことがついぞ見受けられないのはさすが日本だと思いました。

こんなただごとではない災厄時にそんなことを感心してみても始まりませんが、しかし現実にそうではないところはそうではないわけであって、やはり日本人の徳の高さを見たようです。
個人レベルではどんな国や地域にも立派な人とそうでない人がいるのは当然としても、全体としてごく自然にそういうことがない(まったくのゼロではないとしても)というのは、日本人の優秀な民族性や道徳心、伝統や教育レベルなど、あらゆるものの総合的な結果だと思います。

ごく最近も、今は亡きある高名なロシアの大指揮者の本を読んだのですが、1970年代前半に初めて日本公演に赴くことになったとき、「アジアの片隅の、文化果てる国に行く」ような気がしてちっとも気が進まなかったらしいのですが、果たして来日してみるとその認識は根底から覆り、とりわけ日本の文化と日本人の人間性に感嘆したマエストロは「我々のほうが文化果てる国から来たのだ!」と言ったそうです。

そういえば昔、「不思議の国ニッポン」という在日フランス人の目を通した著書がシリーズでありましたが、ここにも礼儀正しい、精神的に質の高い人格を有した日本人の姿が驚きをもって描かれていたものです。

今回の大地震でも、苦難に際して互いを助け合いながら共に時を過ごしたり、東京の帰宅困難者で溢れる街にも暴動やパニックが起こる様子もなく、みなさん一様に粛々と列をなし、整然と秩序を保っているのは、こんな悲劇に際して、再確認することのできた日本人としての誇らしい部分だと思いました。

奇しくも昨日は関係者一同が待ちに待った九州新幹線の開業日でしたが、すべての式典は取りやめとなり、事業運転だけが静かにスタートした由です。
こういうことにも、なんら表立って異存や障害も起こらず、申し合わせたようにスムーズに共同歩調がとれるのが我々日本人ですね。
最近はヘンだと思うことも多々ありますが、久々に感じた日本人の美しさでした。

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