4日目

震災4日目を迎えますが、福島原発の問題がいまだに解決をみないのはいやが上にも不安が募ります。
各被災地の惨状は変わらずで、とりわけ宮城県などで孤立して救助を求めている多くの人達が、ろくに食料や物資もない中でどうしておられるかと思います。

病院の屋上や学校の運動場にSOSの文字を描いて救出を訴えておられるようですが、シロウト考えにともかくヘリなどで少しずつでも救出できないものかと、もどかしく感じるばかりです。

今日あたりになるとより細かな情報も出てくるようになり、スタジオでは被災前後の町の映像や空中撮影の写真を比較したりして被害状況を説明していますが、以前はびっしりと隙間なく住宅が建っていた一帯が(あるいは町が)、まさになにもないタダの泥だらけな土地になっていて、津波がこれらを根こそぎ持ち去っているのが一目瞭然です。恐ろしいことです。

自宅の屋根に掴まったまま2日間、沖合15キロまで漂流したあげく自衛隊のイージス艦に救助された人がいましたが、決して若い方ではないのに本当によく頑張られました。いざというときの人間の力というのもすごいもんだ思います。でもこうして助かった人もあとに残る精神的ダメージは大変なものでしょう。

個別の話も聞けるようになり、そのぶん耐えがたいシーンも数が増えてきます。
瓦礫の山を放浪する初老の男性にリポーターが声をかけると、自分の家族の安否がまるきりわからず、救出者名簿にもその名はない由、たったひとり、なす術がなくあちこち彷徨っているというものでした。
また、別の老いた男性は津波が来るとき、障害者の奥さんを連れ出そうと家族と一緒に必死に運び出そうとしたものの重くてとても間に合わず、ついには手が離れてしまったということで茫然自失の状態でした。
まさにこの世の地獄です。

こんな話も。娘さんが結婚をし、役所に婚姻届を出したその3時間後に地震が発生、二人とも津波にさらわれていってしまい、わずか3時間の夫婦だったというような話も聞きました。地震発生が午後2時43分ですから、役所の昼休み前に婚姻届を出されたんでしょう。

このブログでは政府のことなどは書かないつもりでしたが、敢えてちょっとだけ書きますと、菅さんの総理不適格ぶりにはもうずいぶん前から失望させられつづけて、もはや何かを期待する気も起こらないところまできていました。
留まるところを知らない民主党のスキャンダルも、あまりの数の多さに「日替わりスキャンダル」などと揶揄されるほど連日つぎつぎに呆れるような問題が発覚し、ついには菅さんの外国人からの不正献金問題が出た、その当日の大地震発生でした。
予算委員会での審議中に地震が起こり、委員会はそれこで打ち止めとなって菅さんは官邸に戻り、スーツから例の青い防災服に着替えて一度ちらりと姿を現しただけで、総理大臣ともあろう人が、こんな大事に際してその後はほとんど顔も見せないという状況が続きました。

しかし世の中の空気も、もはや菅さんの指導力不足を責める暇もなく、あの方はアテにしないで、それぞれが皆自分のやるべき事をサッサとやるという感じに見えました。
ところが、13日の夜に行われた会見では、ついに少しは気合いが入ったのか、「この度は大変なことになり苦労も多いことと思うが、我々日本人は必ず復興を成し遂げることができると信じているし、とにかく苦しいけれど頑張ろうではないか」というような意味のことを率直に言いました。

国会審議はもとより、通常のコメントであろうが、外国首脳とのトップ会談であろうが、いついかなるときもひたすら役人の作った書類を見ながら常に下を向いて、しょぼしょぼと精気のない声で書いてあることを棒読みする姿しか見せなかった菅さんが、このとき初めて声にも多少の張りが出て、しかも一番の拠り所である書類を見ることもほとんどなく、国民の方を向いてまっすぐにしゃべった姿は、少なくともマロニエ君ははじめて見た菅さんの姿で、これには不覚にもささやかな感銘を受けました。

人の上に立つ者、とりわけ国のリーダーというのは、最低でもこうあらねばなりません。

そこまではよかったのですが、へんな節回しの女性議員は、やや化粧を薄めにし、イヤリングを外し、それでもいつもの浪花節語りのようなわざとらしい抑揚のついた話しぶりで、計画停電の事などを説明していましたが、刈り上げた髪とスリムな体型は、まるで宝塚の男役のよう。
入退場時の礼の仕方などは軍隊のごとくで、さしずめ現代の川島芳子のようでした。
せっかく菅さんが盛り上げた余韻を、いきなりこの人が掻き消してしまったのは大変残念でした。

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