ショパンコンクールのピアノ

地震関連のコメントは一区切りつけることにします。

以前ブログで書いた通り、マロニエ君の知人に、昨年のショパンコンクールに行って一次から決勝まで聴いたというサムライがいるのですが、その方から会場で連日配られるというコンクールのライブCDをお借りし、いらい毎夜自室はさながらコンクール会場となって連日のショパン漬けとなりました。

ライブとは言っても、連日繰り返される8時間ほどの演奏の中から約1時間にまとめられたCDで、これがソロだけで17枚あります。
演奏はいうまでもなくいろいろですが、どの演奏もいわゆる「本気モード」では共通しており、このコンクールに出場するほどの腕を持った人が渾身の演奏をすれば、大半が聴くに値するものになるということも概ねわかりました。
アヴデーエワなども、日本でのしらけたような演奏には大きな失望を覚えましたが、コンクールでは別人のように丁寧で熱っぽい演奏をしていたのは驚きです。

ご承知の通り、このコンクールではスタインウェイ、ヤマハ、カワイに加えて今回からファツィオリが参加し、4社のピアノが公式ピアノとして使用されましたが、これらのCDから得た印象をざっと書いてみます。

カワイ SK-EX
従来のシゲルカワイには見られなかったような、ショパン的なやわらかで甘やかな音造りが施され、かなりそれは達成されていますが、その奥にはカワイ独特の実直さが潜んでいるのもわかります。
このピアノが生まれ持つ本質は現代性とか華やかさではないかもしれませんが、極めて良質な、信頼に足るピアノだという印象です。別の言い方をすると良い意味での旧き佳き時代のピアノのような趣がなくもありません。
本来ならもうこれでも充分素晴らしく、あの河合小市氏などがこのピアノを見たなら、その素晴らしさには驚嘆することでしょうが、それでも強いて言うなら、現代のコンサートピアノとしてはやや画竜点睛を欠く部分がないでもなく、願わくはあと一歩の音の輪郭と明晰、ゆるぎない個性があれば申し分ないと思います。

ヤマハ CFX
従来型に対して最も著しく躍進したのはヤマハで、その成長は大変なものだと思いました。
これまでの進歩の速度からすれば、まるで一気に二つ三つ山を飛び越したようで、とりわけ中音から次高音にかけての太くて明解な音は4台中随一だったように思います。しかし、相対的に低音域が弱く、大地に足を踏ん張るような構成力には欠ける気がします。
ショパンやフランス物にはもってこいかもしれませんが、中期以降のベートーヴェン、あるいはラフマニノフなど、壮大でシンフォニックな要素を必要とする作品ではどうだろうと思います。
基本的にはアクロスで聴いたときと同じ印象で、音色は上品で、よけいな色が付いておらず、軽さやムラのなさを重視するフランス人がヤマハを好むのがわかります。
もしもエラールが現代のモダンピアノを作るなら、こんなピアノが理想かもしれません。

スタインウェイ D274
聴き慣れた音色、響き、低音の迫力と華やかな高音部など、すべてがバランスよく融合しており、いかにもムダのない音響配分、ぶれない哲学と落ち着きを感じます。
やや下半身の弱いヤマハにくらべると、足腰(低音域)もしっかりした筋肉質で、音域ごとに個性のあるダイナミックレンジが十全に広がっていて演奏表現を巧みに支えています。
舞台映えのする輝かしい音の美しさもさることながら、最終的な音楽としてのまとまりの良さもさすがでした。
しかし、全体的に新しい世代のスタインウェイはややダシの味が薄くなったという印象は、やはりここでも確認できました。

ファツィオリ F278
これまで聴いたどこか詰まったようなファツィオリではなく、突き抜けたような感じの極彩色に鳴り響くラファエロの絵画のようなピアノ。
一音一音はとても艶があり華やかですが、収束性に乏しいのか、やや表面的。
美術的観点では申し分ないものの文学的要素・内的表現といった部分はいささか苦手という気がします。
非常に濃厚で美しい瞬間がある反面、ピアノが前に出過ぎて、ややうるさく感じることもあり、しっとりと深く聴かせるピアノではないように感じましたが、あまりにポピュラーになりすぎたスタインウェイに抵抗を感じて、こういうピアノを好む人もいるでしょう。
ゴージャスな音色、色彩の絢爛さはありますが、ヤマハのほうが端正で気品があり、感覚的にもより先を行く感じです。
イタリアと日本の文化的背景の違いを感じます。

とはいえこの4台はどれも本当に素晴らしく、いずれも現時点での究極のピアノであることは間違いないようです。

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