テレビCM

このところのテレビコマーシャルが気に障っている人って多いみたいですね。

マロニエ君は普段、ニュース以外はあまりテレビを観ないので、昨年鳴り物入りで買い換えた液晶テレビも実はほとんどスイッチが入ることはないのですが、そんな程度のマロニエ君をもってしてもやはり気になります。

大震災発生に伴う各企業のテレビコマーシャル自粛の結果だとは聞きましたが、朝から晩までACによる同じコマーシャルのこれでもかとばかりの垂れ流し状態には、もういいかげん辟易してしまいます。

「心は見えないけれど、心遣いは見える」というのにはじまって、手をつないで「自分が伝えられることがある…」というのや、子宮頸ガンの検診、本を読めば知層になるなどの数種類のものが際限もなく続けられている毎日。
どれも見ていて気分が明るくなるようなものではなく、日本が未曾有の災害に見舞われた上に、なぜテレビコマーシャルからまで、こんな不快感をまき散らされなくてはいけないのかと首を傾げるばかりです。
あんな状態を作り出すことが、各スポンサーが示す被災者への気遣いだとしたら、あまりにもその判断は安直すぎすのではないかと思いますが。スポンサー側、テレビ局側、どちらの責任かはしりませんが、しかも民放は各局が横並びで、うんざりします。

スポンサーが通常のコマーシャルを自粛するというのなら、その間きれいな音楽と景色でも映したほうがまだマシだと思います。
昔のオウム事件の時に言われたことですが、人間は連日連夜、来る日も来る日もおなじことを見せられたり聞かされたりすると、しだいに潜在意識の中になにかが刷り込まれて行き、それは非常に危険であるという事を聞いたことがあり、この事件を境にしてアニメを含むすべての映像から人の神経や潜在意識に害を及ぼす危険のあるものが排除されるようになり、サブリミナルなどはその典型でした。

にもかかわらず、地震発生からすでに10日以上経過したというのに、ACのコマーシャルの洪水はほとんどおさまる気配が無く、見るたびにうんざりして、イライラして、なにか狭いところに追い込まれるようなストレスを感じてしまいます。

とはいうものの、平常のコマーシャルにも最近はへんなものが多く、ここ10年ぐらいでしょうか、様々な外資系の入院保険等のコマーシャルがお茶の間に溢れかえるようになり、これも一種のマインドコントロールにあたるのではないかと思ったことがあります。

この一連の保険会社のコマーシャルの登場あたりからコマーシャルの手法そのものにも変化があらわれはじめて、それまでの商品あるいは企業イメージなどを重視した、いかにも斬新なプロのアーティストの仕事である鮮やかで美しい作品といえるようなものが激減し、懇々と視聴者に直に日常会話のようにして語りかけてくるようなスタイルが増えました。
あるいは体験者がその素晴らしさを体験談のようにして話すスタイル、はじめは不安だったが思い切って電話してみたらよかったとか、高齢者にあたかも近所の人が親切ごかしに直接話しかけるようなもの、息子が母親に電話するなど、まるで身内同士の会話のようにして視聴者を引き込もうとする策が多く、なんだか見ていて背中の当たりが痒くなってくるようなものがあまりにも増えたような気がします。

今はいろんなことが昔とは比較にならないほど厳しく規制され、なにかとうるさい時代になりましたが、そのわりには人の心はちっとも晴れやかではなく、むしろ逆の状態に追い込まれているような気がするのですが、こういう目には見えない本当の深刻な問題をこそ、頭のいい人は解決して欲しいものです。

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