写真の力

病院などで週刊誌をめくっていると、当然ながらどの誌も冒頭グラビアは東北の震災の、激烈な様子が掲載されていますが、見れば見るほどあらためて驚嘆に値する凄まじいものです。

これらの写真を見て感じることは、いくら何度も見たつもりのテレビ映像からではわからなかった、写真ならではの現実の様子がひしひしと迫ってくる点で、すごいとしか言いようがありません。

静止画というか、つまり写真は、見る側に時間的に余裕と自由があり、つぶさにほうぼうを点検することができますから、より生々しく現場の戦場のような様子が手に取るように克明にわかります。
津波の動きやあらゆるものが破壊されていく様子などは動画でこそわかるものですが、被災後の様子や、より接近した事実を伝えるには圧倒的に写真のほうがリアリティをもっていると痛感します。

動画は動画の価値があるものの、なにしろ動きが早く、あっという間に画面は変化していきますから、ひとつの場面を現場に立っているような感覚でじっと見つめることはできませんが、写真はピントも鮮明だし、見る人が任意に時間をかけてその写真と対峙するわけですから、そのぶん凄味も伝わるのですが、それによると、マロニエ君にとってはこの震災が自分が認識しているつもりの、さらに数段上の猛烈なものだったということが理解できたと思いました。

今ごろ何を!といわれるかもしれませんが、本当に凄いことが起こったのだということを再々度認識させられてしまった気分です。
テレビの報道映像からでてくることの無いものとしては、瓦礫に混ざって人の遺体などが確認できるものもあったりで、こうして夥しい数の人の命がいっぺんに奪い去られたというのは、以前も書きましたが、もはや核攻撃でも受けたのと同等の出来事だろうと思われます。

動画と写真にこれほどの差があるように、さらにその差以上のものがあるとすれば、おそらくは現場に立った人の目に映る現実の光景だろうなと思います。

現場での捜索活動などは自衛隊をはじめ外国の救援部隊などが、我々の想像以上に苛烈な働きをしているのだそうですが、なぜかそういう事実はあまり報道されませんし、そのような映像などはほとんど我々の目に止まることがないのはどういうことだろうかと思います。
報道というのはいまさらながら公平性がなく著しく偏りがあり、各局も談合したようにほとんど同じようなものばかりだということもよくわかりました。

一説には民主党政府が、自分達の無為無策を表面化させないためにも(事はさらに複雑でしょうが)、こういう現場で救出・捜索にあたっている多くの人達がいかに体を張って働いているかを映させない、あるいは報道させない、あるいはそういう現場にマスコミを入れたがらないという話を聞きますが、もしそうだとしたら、それは相当おかしな事ではないかと思います。

何でも「マズイ」といって隠すのは日本人のお家芸のようなものですが、それにしてもこの隠蔽はなんなのでしょう?
別に犠牲者の遺体を映せといっているわけではないのですから、ある程度事実は事実としてニュートラルに報道すべきであって、これを権力その他の故意によって偏ったものに操作するのは絶対にあってはならないことだと思いますが、現実にはそういう黒い力がある程度機能しているともいいますから、今の政府やマスコミの考えていることは呆れるだけです。

官邸の人達は、この期に及んで、まだ自分達の権力維持に努めているのですから、識者にいわせるとこのような未曾有の惨事が起こったのが民主党政権下であったことが、我が国の不幸をより深いものにしているというのだそうで、それは大いに同感です。

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