マロニエ君は夜にスーパーで買い物をしたりするのですが、たまに日中も外に出たときには、ついでがあれば買い物まですることがあります。
このところ、どうも流行っているらしいのが、住宅街みたいなところに突然できる八百屋でしょうか。
古い民家やマンションの一階などを急ごしらえで八百屋にしたような、あれです。
昔なら八百屋は市場や商店街のような決まった場所にあったものですが、最近ではなんの脈絡もないような場所に、突如として産地直送のような店ができることが珍しくないようです。
お店はいろいろだろうとは思いますが、目につくのはやはり低価格をウリにしているらしいのが多く、どうやら店主が産地から直接買い付けてくる場合などもあるようです。
何度かこの手の店で買ってみたことがありますが、スーパーの野菜のように徹底して商品化されていないぶん、形もイマイチだったりしますが、べつに自宅で食べるについてはこれといった支障もないので、はじめは珍しさもあり、機会があればときどき買っていました。
しかし、安くて新鮮な野菜というイメージはすぐに崩れました。
スーパーで売っている野菜がいいとは決して言いませんが、やはり断然きれいだし、値段もほとんど大差ないことが判明するのにそう時間はかかりませんでした。
上記の八百屋はたしかに値段も安めになってはいますが、決して激安というわけでもなく、スーパー基準のやや安めという程度に過ぎません。しかも値段は品質に準ずるのは当然なので、あまりきれいでもない野菜となれば本当に安いとばかりも言えず、要するにそれなりのもの、妥当な価格だということです。
いや、もしかしたら、品質に対しては逆に割高ということもあるでしょう。
これが畑から直接持ってきたような、本当に新鮮で美味しい野菜なら見た目はイマイチでもその限りではありませんが、この手の八百屋は決してそうではなく、ただ単にスーパーで売っている商品より下の二級品という感じしかしないのです。
それでもそこそこお客さんが来ているのは、やはりなんとなく安くてお買い得のような「イメージ」があるからだろうと思われます。スーパーできちんと商品管理されたものにある意味で飽き飽きしている現代人は、こうしたいわばなつかしい素朴で野趣に溢れた売り方につい乗せられているのかもしれませんし、現にマロニエ君も何度かそんな気になって買ってみたわけです。
しかし、わざわざそんな店で買うメリットがないことに気付いたので、またスーパーに戻ってみると、やはりこのほうがはるかに品質も安定していて、値段も決して高くはないので、いらいあの手の八百屋で買うことはパッタリとなくなりました。
いっぽう、スーパーではなくプロが仕入れをするような店もあるのですが、たまにそっちに行くと、並んでいる野菜は質が高くて、なんときれいなことか!と思います。
値段はこれまたスーパーよりほんのちょっと高いぐらいですが、決して法外なものではありません。
要するに、品質を考慮すれば、これが一番お買い得だというのが我が家の結論で、家人もできるだけここで買うようになりました。もちろん利便性の点でスーパーには適いませんから、スーパーで買うこともしばしばですが、できれば野菜などはきれいなものを食べたいものです。
考えてみれば、あちこちに登場した名も知れない八百屋は、実はしっかりと現代の流通経路に沿って分類された相応の商品を、巧みに売りさばいているだけのことに思えてきました。
これもわずかな絶対額の差に一喜一憂するお客の心理を見事に突いた商法だろうと思います。
本当に安いというのは決して絶対額だけではないという当たり前あのことが痛感させられます。