ピアノ好きの知人のお誘いを受けて、とあるホールへピアノを弾きに行ってきました。
ここは昨年秋にスタインウェイのDが導入されて、以前からあったベーゼンドルファー275とヤマハCFに加えて3台体制となったようです。
ステージに行ってみるとスタインウェイとベーゼンドルファーの2台が準備されていました。
ここのベーゼンドルファーを弾くのは二度目ですが、以前はかなり調整から遠ざかっているといった状態で、とても本来の実力とは思えないコンディションでしたが、今回は見違えるほど入念に調整されていて、むろん調律だけでなく、音色からタッチまで、すべてに調整の手が入っていることは触れるなりわかって、そのあまりの違いにびっくりしました。
スタインウェイもそうでしたが、両方ともどうやら調律仕立てホヤホヤみたいな印象で、今回はよほどタイミングが良かったのだと思います。
二人で行って、交代で2時間ゆっくり弾いてきました。
ベーゼンドルファーはまろやかさが上積みされて、タッチの感触も均一で心地よく、いかにもシャンとした身なりの人みたいな雰囲気にあふれていたので、以前よりも格段に弾きやすい感じを受けました。
マロニエ君はベーゼンドルファーではどうしてもショパンなどを弾く気にはなれないので、シューベルトのソナタなど、この楽器に敬意を表して相応しい曲の楽譜を持参してこのヴィーンの名器を堪能させてもらいました。
そこで感じたことは、調整はかなり入念にされているとは思ったものの、なぜかタッチコントロールによる音色の変化など、音楽性という点においてはそれほど敏感なピアノにはなっていない印象だったのはちょっと意外でした。無造作にパラパラと弾く分には以前よりたしかに格段に弾きやすいのですが、これぞベーゼンドルファーという弱音域の表現力などはあまりなく、どちらかというと一本調子なピアノであったのはどうしたことかと首を傾げるばかりです。
まあ、このほうが一般ウケはするのかもしれませんが、少なくともタッチや弾き方によって音色を作り音楽を表現するという余地があまりないように感じました。
これは調整した人が上手すぎて、あまりにも立派に調整してしまったために、変な言い方ですがそれによってピアノが一ヶ所に固定され完成しすぎてしまい、最終的には演奏者に下駄を預けるといったところのない、安全指向のピアノになっていたように感じました。
どう表現を誇張してみても、あまりピアノがついてこないのは意外でした。
それはマロニエ君の腕がないからだ!とお叱りを受けそうで、もちろんそれはそうなんですが、でも下手クソほど実は表現力のあるピアノはある意味で恐い存在で、いいかげんな弾き方をしようものなら、そんなアラがいっぺんにバレてしまうほど、一流の楽器というのは元来敏感なものなのですが…。
しかし恐いけれども、気を入れて、心を込めてしっかり弾くと、ピタッとピアノがついてくる、これが本来の名器だと思うのですが、もしかしたら日本のピアノ向きの調整だったのかもしれません。
少なくともベーゼンドルファー特有の、優雅の中にかすかな下品さみたいなものがチラチラする、そんな瀬戸際を演奏者の裁量で楽しむスリルはなく、ピアノ全体が優等生的にグッと安全圏内に移動させられたようでした。
それにしても、いまさらながらこのベーゼンドルファー275の、見た目の華やいだ美しさには、ほとほと感心させられ、見るたびにため息が洩れてしまいます。
チェンバロのようなカーブ、薄いリム(外枠)、赤味の入った弦楽器のような色のフレームとそこに開けられた無数の大きな穴、芯線部分もすべて一本張弦で、何もかもが手間暇かけて、軽く薄くデリケートに作られているようです。
スタインウェイはピアノとして最高の実用楽器ですが、こちらはまさに贅沢品という趣で、見ているだけで目の保養になります。でも弾いた感じは、ちょっと優等生的で、もう少し裏表があるのが本来のピアノの姿では?と思いました。
もちろん全体としては気品あふれるピアノだったのは言うまでもありませんが、そのわずかのところが楽器の世界は難しいもんだと思います。