某所のスタインウェイ

昨日書いた、とあるのホールの続き。

スタインウェイは事実上、まっさらの新品といって差し支えない状態でした。
いかにも今のドイツの工業製品というに相応しい、生産品としてはほぼ完全なもののように見えましたが、昔と違って見えない部分にコストの問題などを抱えているのも事実で、不思議にこのピアノは心を揺さぶられるものがありません。どうしても興奮できないというか、このピアノと駆け落ちしたいという気にならないのです。

もちろん新しいということはピアノとしてはハンディとして考慮すべき点ですから、これをもって結論めいたことは決して言えませんが、やはり最近のスタインウェイの特徴がここでも見えたのは事実で、かつての強烈な個性や魅力、聴く者を圧倒する強靱な鳴り、コクのある音色は影を潜め、薄味で、作り手が製造精度やネガ潰しにばかり腐心しているように感じます。
最近ショパンコンクールのライブを相当量聴きましたが、そこで聴くスタインウェイも根底がまったく同じ音でしたから、やはりこれは今のスタインウェイの特長であることは間違いなく、CDでも、TVでも、実物でも全部同じ音がします。その代わりといってはなんでしょうけど、品質管理・当たりはずれの無さは猛烈に上がっているようで、もはやスタインウェイも事実上カタログで注文していいピアノになったのかもしれません。

まるで今のドイツの高級車みたいで、美しい作りや高性能と厳しい割り切りがひとつのものの中に共存し、だれが乗っても触ってもその性能の8割方までは必ず楽しめる、そんな利益の上がる生産品を作り出すことを旨としている感じです。
昔の超一流のスポーツカーやピアノには、それを使いこなせるまでは修行して出直して来い!とでもいったような、使い手におもねらない気高さと近づき難さなど、本物だけがもつ凄味と、実際それだけの裏付けがありました。
今は、お客様優先でイージーに楽しめる保証付きの製品を目指しているんでしょう。

ピアニストに喩えると、もちろん演奏に際してミスタッチなどはないほうがいいに決まっていますが、そんなことよりもっと大事なものがあるという演奏を臆せずすることで聴く人に深い感銘を与える人と、音楽的には凡庸でこれといった特徴も魅力もないけれど、指はとにかく達者でミスタッチなどしないで常に安定した演奏ができ、結局、総合点でコンクールに優勝したりするタイプがあるものです。

新しいスタインウェイがいささか後者のような要素を帯びてきたと感じているのは、決してマロニエ君だけではないと思いますが、残念ながらそれをまたしても確認してしまったという結果でした。
確信犯的に、周到に材料の質から何から割り振りされていて、はじめから器が決まっていて、限界が見えているピアノという感じが頭から拭えません。昔のように何か得体のしれないものの力によって腹の底から鳴っているという、思わず鳥肌が立つような、あのスタインウェイの真髄や凄味はもはや過去のもののようです。

かつて、世界中のどれだけの人が、このスタインウェイの魔力の虜になったことでしょう。
業界人の中にはしかし、これを単なる懐古趣味やマニアの思いこみであるかのように言い抜ける人がいますが、本当にピアノがわかる人なら本心からそう思っているとは到底考えられません。
あきらかに以前のスタインウェイにはピアノの魔神のごとき魂みたいななものが宿っていたのは事実です。

しかし、さすがにアクションなどは新しいぶんしなやかで、ピアニッシモのコントロールなどは思いのままでしたし、ダンパーペダルなども極めて抵抗が少なく滑らかで、こういうところはさすがだと思いました。

スタインウェイは今も内部の細かい仕様変更などをしていると聞きますが、今回のピアノは心なしかこれまでよりキーがわずかに深くなっているようにも感じました。

蛇足ながら、この1〜2年ぐらい前から採用されだした新しいキャスター(足についている金属の大型車輪)は、同じものがベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、シュタイングレーバー、プレイエルなどにも装着されており、これだけ数社のコンサートグランドに採用されるからには、よほど機能が優れているのかもしれませんが、見た感じはなんとも不恰好で、せっかくの美人がゴツイ軍用靴でも履かされているようで、強い違和感を覚えます。

ヤマハ、カワイ、ファツィオリなどがまだこのタイプではないのは、せめてホッとするところです。

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