心の豊かさ

過日は知人からのお招きをいただき、ご自宅にお邪魔させていただきました。

そこは一戸建ての住宅ではなく、戦後間もなく建てられたという大型団地ですが、内部はとても美しくリフォームというかイノベーションというのでしょうか、ともかくそういう改装を施されてとても快適な居住空間になっています。

知人はここの住人であるわけですが、そこになんと普通サイズのグランドピアノを数年前に購入しています。
外からクレーンで吊ってベランダから納入されたらしく、このとき、近隣住人や管理者への事前の許可などは敢えて得ることはしないで、購入後にその旨の挨拶をされたらしいのですが、その手際の良さと英断が功を奏してか、この数年間というものクレームらしきものもなく、ごく平穏に、しかもピアノのある充実した心豊かな生活を楽しんでおられるのが一目見てわかりました。

今どきですから、集合住宅の場合はちょっとしたテクニックというべきものが必要で、ヘタに正面切って事前の許可を得ようなどとしようものなら、却って藪蛇になるだけで、どっちみちいい顔されるはずのないピアノに対して、正式に「はいどうぞ」と言われることはまず無理だと思われます。
別の知人は、ピアノ可の条件でマンションを探したところ、なかなか思うようには事が運びませんでした。
最終的にはどうにか決まったものの、かなり時間もかかったようでしたし、そのために不必要な広さや部屋数であることも受け容れて妥協しなくてはいけなかったと聞いています。

さて、普通は団地にグランドピアノというと、いかにもミスマッチのように思われがちですが、子供のある家族などならともかく、そうでなければいざ置いてみれば、必ずしもそうとは限りません。
今回の知人のお宅でも、思った以上にピアノはきれいに定位置に収まり、なかなか良い雰囲気を醸し出していました。
やはりピアノのある空間はいいものです。

この方は、ここで音を出すのを夜8時までと決め、それ以降は消音機能で練習されているとか。
それでも、文句が出るところでは出るでしょうから、この方の場合、たまたま近隣の方の理解に恵まれたということも現実的にはあるとは思いますが、やはりそこはお互いの理解と気遣いと譲歩があればこそだろうと思われます。

ピアノはカワイのグランドでしたが、人間に喩えるならまだまだ幼稚園か小学校の低学年ぐらいの歳で、すべてはこれからという新しいものでした。中音域から高音に至る音色は、ふくよかさの中にもキチンとした骨格があって、変な癖のようなものがまったくない、とてもきれいな音を出すピアノでした。
このサイズの日本製ピアノは、どうかするとえげつない音になることがありますが、良い場合のカワイには、そういう一面がないところがやっぱりいいなあと感じ入ってしまいました。
低音もごく自然で、中音域からきれいな繋がりを持っていて、どんな曲にも対応できる幅広さと普遍性をそなえていると思います。

それにしても、部屋にグランドピアノのある眺めというのは、他に代え難い、豊かな文化性みたいなものがあふれていて、そこには非常に上質な空気が流れているように感じますから不思議です。
別項でも書きましたが、ピアノは現代の実利的尺度で見るなら、重くて場所をとるローテクのかたまりですが、そのグランドピアノが作り出す空間の質感というものは、たとえそこにどんなに高価なパソコンやAV機材等を並べたとしても達成することはできない、主の精神生活の豊かさみたいなものが溢れています。

同行した知人も、あの光景にはちょっと刺激を受けたと言っていましたが、たしかにそれはよくわかるような気がします。そのうちそのうち…と躊躇ばかりせずに、一日でも早くこういう環境を整えるための決心と行動をした人から先に、本当の豊かさと喜びを日常の中で享受することができるのだなあと思いました。

ピアノはもちろん演奏されているときもいいものですが、ふたが閉じられて、静かに佇んでいる姿もこれまたなかなかいいものだとマロニエ君の目には映ってしまいます。

いろんな制約の多い今の社会では、諸事情あって普段は電子ピアノ、レッスンや発表会などでどうにか本物ピアノに触れるというパターンがあり、それはそれでやむを得ないことではありますが、こうして本物ピアノを生活の中に迎え入れ、その空間で毎日呼吸している人の満足と充実度の高さというのはやはり格別で、この満足は電気製品では到底及ぶ領域のものではないようです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です