楽典

このところ、勉強というほどあらたまった事ではないのですが、ふとした気まぐれで、楽典の本をパラパラみていると認識を新たにすることなどがあって、妙に面白いもんだと思っているところです。

楽典は昔、十代の時にひと通りはやったことですが、もともと全部が全部キチンと頭に入っているわけでもないし、もちろん忘れていることもたくさんあって、ページを繰るごとに思い出すこと、あらたに覚えるべきことなど、いろいろとあるものです。

とくにイタリア語の表記には、同じ意味でも何通りもの言葉があって、ほとんど使われないものも多くありますが、本来のニュアンスとしては、微妙にどう違うのか、作曲者はどう使い分けていたのかというような点は多いに疑問で、そのあたりはとても謎めいていて興味が湧いてくるところでもあります。

人間、何事も自分でわかったつもりになっていることほど恐いことはなく、あらためて本を開いてみると、ちょっとした思い違いや発見がゾロゾロ出てきて記憶が修正され、そのあとに楽譜を見ると、なんとなく見方が良いほうに変わってくるようですし、こういう変化は柄にもなくちょっと良い気分です。

考えてみたら楽典の本を読み返すなど、本当に恥ずかしいぐらいに久しぶりで、つくづく自分の不勉強ぶりを思い知らされた気がしています。
ちょっとした気まぐれから見てみた楽典の本ですが、けっこう面白いのは意外でした。
それで味をしめて、古くて茶色になった昔の教科書だけではつまらないので、新しい楽典の本を一冊買ってみましたが、これもまた面白く読むことができました。

何事もこうして絶えずおさらいをするというのは大事なことなんでしょうが、マロニエ君のような生来の怠け者にはよほどの偶然か気の迷いでも起きない限りそういうことはないので、今回は、その気の迷いのお陰でとっても得した気分です。
たったそれぐらいのことで、そんなに得した気分になるのなら、では、もっとあれこれ勉強に精を出せばいいのですが、それはそれこれはこれで、やっぱり殊勝な気持ちはなれないんですね。
好きなことをしながら、それが結果的に勉強にもなるというのが理想ですが、そう都合良くはいきません。

ただ、マロニエ君は練習は昔から超のつく怠け者ですが、作品の解釈とかディテールの意味づけ、各所の表現という部分にはそれなりのこだわりがあるので、その点を分析追求するには、やはり楽典のおさらいは有意義だと思いました。

この際これは本棚にしまい込まないで、ひまひまにパラパラ見るだけでも参考になるので、しばらくは手の届く場所に置いておこうと思います。

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