義援金疑惑

東北大震災の被災者のための義援金活動が各地各所で行われていようですね。

マロニエ君も被災者の方にはなにか自分のできることをしなくては…という思いは人並みにはもちろんあるのですが、義援金ならばしかるべき公的機関の窓口以外ではしようとは思いません。

民間でやっているものも最近は実に様々なものがあるようですが、あれはちょっとした社会問題にもなっているようですね。
というのも、本当にそこで得られた義援金が、すべて滞りなく被災地の人達の手に、あるいは復興のために間違いなく活かされているかどうかという点は、相当グレーゾーンの部分も多いらしく、そうだろうという気がしています。

日本国内はもとより、世界各地でもそのチャリティコンサートなどがさかんに催されているようですが、どこまでがどうなのかと思うと、せっかくの人の善意に対して悪い見方をするようですが、でもそれを100%真っ当に捉えるなんてことはマロニエ君には申し訳ないけれどもできません。
正確にいうなら、善意が善意のまま、無事にその花びらがむしりとられることなく目的地にたどり着いているかという点では甚だ疑問です。

もちろん中には誠実にそれを実行している人や団体もあるでしょうけれど、その正しいことをしている人達の中に紛れ込んでいる、不届き者というのも世の中には必ず存在していると思いますし、義援金などという人助けに名を借りた、不明朗な金集め行為というものは、いわば火事場泥棒と同じで許しがたいものを感じます。
しかも、現代人は偽善の衣装を着るのは上手ですから、それを外から見分けるのは至難の技です。

もともとが寄付行為なので、集まったお金の管理自体も、どのようになされているの不透明です。
金額も、個人の任意によるものだから決まった額ではなく、その合計の数字などないも同然で、そこに誤魔化しの意志が忍び込めば、いくらだってできるでしょう。
この種のお金は透明性に対する要求も恐らく低いはずで、こればっかりは追跡調査して領収書との数字を付き合わせるわけでもなく、要するにすべてが曖昧という気がします。

とくに個人レベルでやっているこの手の行為は、イベントや物販をしても、必要経費と称していくらでも主催者は抜き取ることができ、マロニエ君は悪いけどあまり信用していません。

貯金箱のように壊さなければ開けられない箱でも準備して、衆目の前でそれを開け、金額を確認してその足で一気に役所にでも直行するのならともかく、後日だれかがどこかの受付窓口に行って来るというような流れなら、マロニエ君だったら御免被ります。
本当に義援金を出す気持ちがあれば、わざわざそんな怪しい経路を経なくても、直接自分の足で公的機関の受付窓口に行ったほうがよほどマシです。

実際にこの悪しき問題を解決すべく、すべての義援金の窓口を一本化すべきというような意見もあるのだそうですが、もともとが善意と自由意志に委ねられた世界であるだけに、なかなか実現が難しいようです。
日本人は災害発生時に略奪などの目に見える派手な行為はまずしない民族ですが、善意のお金を募って、その中から自分のポケットにも少しまわそうなどというみみっちい輩は、残念ながらウヨウヨいそうな気がします。

義援金を集めなんて、所詮はこういう側面がつきまとうものなので、マロニエ君だったら絶対に自分ではしたくないことです。
声にはされなくても必ずちょっとは疑いの目で見られるハメになるわけですから、それはイヤですね。

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