自称恋愛の大家

こういっちゃなんですが、世の中はたいしたこともない人に限って、虚勢をはって大風呂敷をひろげるようなことを言うものです。
恋愛経験も例外ではなく、どちらかというとあまり経験がありそうには見えないような人のほうが、自分の経験らしきものをご大層に、恭しげに語ってしまう場合があるものです。

ごくたまにこの手の話を見聞きすることがありますが、そこで語られる「自分」はまるで映画の主人公並で、出会いからお付き合いの経過、心理の駆け引き、それにまつわる困難や苦労話までもが、誇らしげに、熱っぽく語られるのには失笑してしまいます。
とくにある種の目立ちたがりで、しかもどちらかといえばあまりおモテにならないような女性の中に、この手のタイプがいらっしゃるようで、逆に経験豊富な人はだいたい自分のことは黙っているようです。

どこまでが自分の経験か疑わしいような話まで一切合切ひとまとめにして、例えば相手の人間性の見極め方であるとか、世の中にいかに酷い最低の男がいるかというようなことが綿々と語られ、すべては自分を中心とした視点や思考基準のもと、そこに登場する男女は、より極端にコントラストを強調しながら、苛烈な筋書きをもって誇大に脚色され表現されています。

しかもその苦心談が、まるで壮絶で深みのある人生経験のごとく、朗々と語られる自慢話のようになっているのがお定まりです。
こういう人の得意のセリフは「下手なドラマなんかより、よっぽどすごい!」とか「全部話そうとしたら本が一冊できちゃう!」といったもので、マロニエ君などは、だったら書いてみろ!とつい言いたくなります。

そんなに稀有な体験で、波瀾ずくめのすごい話なんだったら、どんどん原稿にでも仕上げて、出版社なり映画会社なりにプレゼンでもしてみりゃいいのです。

あまり具体的なことは書けませんが、男女の仲において、片方だけがそれほど極端に悪くて、もう片方は善人の鑑のような人なんてとことがあるだろうかとも思います。
もちろん個別具体的にはいろいろと驚くべき話が転がっていることは承知していますし、実際ひどい男(女)もいるでしょう。

しかし、大きく見れば、男でも女でも、そんなに言うほど片方が酷い人間なのであれば、いつまでもそんな人と手を切らずに関係を引きずった側にも、ある一定の責任はあるように思います。

もちろん、第一義的には悪い方が悪いに決まっていますが、(とくに結婚していないなら)いいかげんに見切りを付けるべきであったところを、自分もいろんな諸事情あって未練がましく離れきれないでいたクセに、にっちもさっちもいかなくなったとたん、一転して相手ばかりをののしり募っても、なんだか客観的には説得力に著しく欠けていたりするものです。

ところが、こういう人に限っていつしか恋愛のオーソリティーのような顔をしはじめ、自分のささやかな体験を元手に、したり顔で恋愛論をぶちあげ、果ては他人の話に尤もらしいコメントをつけたり、我こそはという相談役となって堂々とアドバイスやお説教までやってしまいます。

人並のバスにさえ乗っていないような人が、その道の専門家のような口を聞くのは、まさに失笑ものです。

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