ラ・フォル・ジュルネ3

本来は「英雄」と「皇帝」は作品番号からいえば英雄のほうが若いけれども、一夜のコンサートのバランスという点では順序が逆で、「皇帝」→「英雄」の順であるべきだと思われ、その点はどうにも違和感がありましたが、最後の最後になってその理由がわかりました。

皇帝の終演後、割れんばかりの拍手に応えて何度もステージに現れたピアニストのダルベルトが、最後に紙とマイクをもって現れ、震災の追悼の意味を込めてと自ら説明して、ピアノソナタ第12番の第3楽章の葬送行進曲を弾きました。
残念ながら演奏自体はまったく首を傾げるようなもので、この作品本来の姿からかけ離れたものと感じましたが、ともかくもこれで一夜のコンサートでベートーヴェンの二つの葬送行進曲が演奏されたということになりました。
こういうオチをつけるために「皇帝」を後にまわしたのだろうと了解できました。

この日さらに驚いたことは、コンチェルトで使われたピアノでした。
シンフォニーの演奏中、ピアノはステージ左脇に置かれていましたが、それはツヤツヤのスタインウェイでキャスターは最も新しいタイプの特大サイズのものが金色にギラギラと光っていましたから、てっきりどこかから貸し出されたのか、あるいはこのホールが新規に購入したピアノと思っていました。
「ああ、また例の新しいスタインウェイか…」というわけです。

ところがシンフォニーが終わって、係りの人達によって舞台中央にピアノが移動させられてくると、ひとつピアノに不可解な点があるのに気がつきましたが、そのときはそれほど気にもとめていませんでした。

ピアノの移動が終わって大屋根が開けられ、準備完了となると、例によってコンサートマスターがAの音を出しますが、それがこころなしか色艶がありふっくらしているように感じはしましたが、しかしこの時点ではたった1音ですから、まだなんともわかりませんでした。

ダルベルトが登場し、冒頭の変ホ長調のアルペジョを弾いた途端、あきらかに!?!?と思いました。
最近再三にわたって書いている、新しいスタインウェイの音ではないのです。

でもサイドに書かれた大きな STEINWAY & SONS の文字やマーク、
ここ最近採用され始めた巨大なダブルキャスター、ピカピカに輝くボディなど、おろし立てのようなピアノにしか見えませんが、音はあきらかにちょっと枯れた深みと太さのある昔のスタインウェイの感じで、もうマロニエ君はあきらかに混乱してしまいました。

ところが細部に目を凝らして見てみると、このピアノは新しいピアノではないことが判明し、そのときは思わずアッと声を出しそうになりました。
それでわかったことは、あくまで客席から見た限りですが、察するに30年ぐらい前のスタインウェイで、おそらくはオーバーホールを機に全塗装され、足はまるごと新しいものに取り替えられ、サイドには大きな金文字が加えられたのだろうと思われます。

よく技術者の中には「新しいピアノはパワーがある」と言い、それは裏返せば「古いピアノはパワーがない」という意味になりますが、それはとんでもないことで、新しいピアノよりもよほど力強くオーケストラのトゥッティ(全合奏)の中でも逞しく鳴り響いていたこの事実を、こういうことをいう人達はどう説明するのか聞いてみたいものです。

逆に最近の新しいモデルでは、鳴りが悪くて、とてもこんな力強いコンチェルトは出来なかったと思われます。
鳴らないピアノというのは音じたいが常にどことなく苦しげですが、この鳥栖のピアノは熟れたなんともどっしりした貫禄がありましたし、「ああ昔の演奏会はこういう音だった」と懐かしさまでこみ上げました。

というわけで、いろんな意味でたいへん充実したマロニエ君のラ・フォル・ジュルネ体験でした。

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