結婚願望

ときどき結婚願望というものが高じてしまって、もはや執念のように暗く思い詰めている人がいます。
人間誰しも、自分の望むものを手にするために粉骨砕身努力するのはわかりますが、あまりにもその思いに囚われてしまうと、空回りして負のオーラが出てしまいます。
とくに結婚となると相手のあることで、年々歳はとるし、その焦りのクレッシェンドは鬼気迫るものに発展することがあります。
寝ても覚めても、仕事でも遊びでも、けっきょく意識の根底にあるのはそのことばかり。

どんなに優れた魅力的な人でも、ひとたびこの欲望のオーラを発してしまうと、ことごとく事は成就せず、欲しいものはますます手に入らない状況に陥ってしまうようです。
その一番の理由は、欲望の虜になり、それにのみ囚われ、余裕や柔軟性が無くなるからでしょう。
目的を掴み取るまでは、如何なることでも満足できないという本音が見えてしまうのは本人も周りも不幸なことです。

もうすこし率直な言い方をしてしまうなら、ひじょうに視野の狭いガツガツした人間のように見えるのですが、これは本人は必死のあまりわからないようですし、わざわざそんなことを指摘する人はいませんから、よほど自己分析に長けた人でもなければ、この悪い状況が解消されることがないわけです。

人間の姿として、物欲しげな状態というのはあまり見てくれのいいものではありません。
ましてやそれがパートナー探しとなると、まわりはそのパワーに圧倒されて引いてしまいますし、だからこの状態は自分から幸運を退けてしまう波動を出しているともいえるでしょう。

強すぎる欲望の持ち主には幸運はおとずれないという目には見えないセオリーがあるように思います。

みなさんのそばにもいると思いますが、一見活発でやたら友人知人が多いらしく、毎日忙しく動き回っているような人って、実は押し寄せる孤独を押し返そうとする必死さみたいなものが漂っていて、人は無意識のうちにそういう気配を確実に感じ取っているものです。

最近は自己啓発の類が盛んで、ほとんど意味をなさないような自分ミガキとか、キレイゴトの空虚な妄想のようなことを煽り立てて人を惑わす傾向があり、そこでは人間の能力も幸福の実現も、無限の可能性を秘めた泉のごとく語られます。
建前はいかにも正論で立派ですが、要するに不安感や欲望を煽っているだけにしか見えません。

「あきらめない」というような言葉も前向きで素晴らしいこととして巷に蔓延していますが、マロニエ君にはどうも非現実的な際限のない欲望追求にしか見えず、心は飢えて渇いたような人ばかりで世の中は溢れかえっているように感じます。
「あきらめる」というのも、本来は人が生きていく上で非常に大切な美徳なんですけどね。

結婚願望があるなら、いったんはそれをゴミ箱に捨てるぐらいの腹を決めて、悠然と構えて、余裕のある気持ちと態度で毎日を送った方がよほどチャンスは巡ってくるものです。
チャンスとか幸運というのは、実は大変なあまのじゃくで、欲した途端に逃げていくものです。

だから、さほど欲していない人のもとへ、ふらりとチャンスは立ち寄ってくれるものです。
男女の区別なく、モテる人は余裕があるから必死に相手を欲しがらないし、その余裕ある姿が魅力的に写るものかもしれません。利が利を生む論理そのものです。
すなわち強すぎる結婚願望そのものが、まさに結婚を自分から際限なく遠ざけているのかもしれません。

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