ライプチヒの名器

以前、このブログでも紹介した珍しいコンサートに行ってきました。

福岡市南区の高台に、日時計の丘ホールという名の小さな可愛らしいプライベートギャラリーがあり、そこに1910年製のブリュートナーがあります。
L字形の内部には藤田嗣治、熊谷守一、斎藤真一などの作品が展示されたシンプルで気持ちの良い文化的な空間でした。

ここで管谷怜子さんという地元出身のピアニストによるリサイタルが行われました。
プログラムはバッハのパルティータ第1番、モーツァルトのイ短調のソナタ、それにシューマンの交響的練習曲で、マロニエ君の想像ですが、このドイツ生まれのピアノに敬意を表す意味もあって、すべてドイツ音楽で構成されたのかもしれないと想像しています。

演奏はきわめて丁寧かつ誠実なもので、全体にゆっくりしたテンポと穏やかな表現で弾き進められました。

こんな場所にこんな空間のあることも意外でしたが、さらに意外だったのは、この御歳101歳になるブリュートナーでした。
サイズは見たところでは、おそらく170センチ前後の小さめのグランドでしたが、バッハのパルティータのB-durの軽やかな出だしからして、思いがけなく厚みのある、ふくよかでくっきりした音だったのには思わずハッとさせられました。

まずなにより特徴的なのは、音が太くかつ柔らかなことで、これにより音楽の輪郭にくっきりと明確さが出て、まるでインクをたっぷり含んだ太字の万年質の文字のようなイメージでした。
新しいピアノのなにやら人工的で必死さのある鳴り方に較べると、あくまで自然体で朗々と鳴っているところは、どことなく弦楽器的であり、良質の木が共鳴して作り出されるその純度の高い音は、聴いていて実に心地よいものでした。

パワーそれ自体も相当のものを感じ、とても100年前のピアノだなんて思えません。
仮に同サイズの日本製の新品ピアノを並べて置いても、この鳴りにはとうてい敵わないでしょうね。
昔の人は凄いピアノを作っていたもんだと思うと同時に、このピアノを作った人達は現在もはや一人も生きていない事を思うと、ピアノだけがこうしてすこぶる元気に生き続けているという事が、なんとも不思議でもあり感動的な気分になります。
何度も書くことですが、専門家のくせに「新しいピアノにはパワーがある」なんてことを堂々と言う人は、楽器の意味するパワーというものがまったくわかっていないと思わざるを得ません。

ドイツピアノでは双璧であったベヒシュタインに較べると、ブリュートナーには華やぎがあり、男性的なベヒシュタインに対して、ブリュートナーは女性的な美しさがあるとも言えるでしょうが、その達者な表現力にはまさに世界の名品の名に恥じないものがありました。
とくに交響的練習曲のフィナーレなどに代表される激しいパッセージにおいても、この老ピアノは一切の破綻を見せず、演奏をどこまでもガッチリと受け止めて、あくまでも音楽として鳴り響くところは、そこらのカッコだけの腰砕けのピアノとはどだいものが違うということを思い知らされます。

アンコールには、交響的練習曲に残された遺作の5つの変奏曲(プログラムでは演奏されなかった)から2曲が演奏され、それはそれで楽しめましたが、ブリュートナーと言えばライプチヒですから、できればメンデルスゾーンなどを弾いて欲しかったというのがマロニエ君の正直な気持ちというか、この流れからいえば密かにそうなるような気がしていましたが…。
このピアノで無言歌などを弾いたら、どれほどピッタリだろうかと思わないではいられません。

すっかりこのブリュートナーに魅せられてしまい、無性に戦前の古いピアノが欲しくなりました。

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