自己中オーラ

週末に天神の書店に行ったときのこと、見たい本棚の前にはたぶん30代とおぼしき女性がかがみ込んで熱心に本(実用書)を見ています。

マロニエ君も同じ書架で本を探していたわけですが、なかなか見つからず、とうとうこの女性がいる場所の真上が見てみたい状況になったのですが、この女性はいやにどっかりと腰を落ち着けて、とうてい動きそうな気配がありません。
仕方がないので、しばらく待ってみることにし、外の場所を見てみたりしていましたが、やはりどうしてもその場所しかなくなりました。

遠慮がちにその上の段を、上半身を曲げながら見てみようとするのですが、マロニエ君は比較的長身なこともあって、なんとか見えないことはないものの、やはり勝手が悪くて仕方ありません。

普通なら、本屋の書棚などはお互い自分のものではないのだから、社会通念としてお互い様という気持ちが働いて、自分がいる場所でも他人が来れば、わずかによけたり、ささやかでも譲り合うのが常識というものですが、最近はこういう具合に、人がいるのは充分承知しておきながら、譲るという気持ちが頭からまったくない人間がいるものです。
そのせいか、こちさら目を合わせず、微動だにしない人の姿はエゴそのものが蟠っているようです。

こうなると暗黙の戦いのような様相となりますが、とてもとてもマロニエ君ごときが敵う相手ではありません。

ガッチリとシャットアウトの鎧を着たかのごとく、自分と本との世界に固まっているような気配です。
見ると、その女性はそこの棚にある本を次々に片っ端から見ているようです。

今どきは、こういうことにいちいち腹を立てても仕方がないと、いいかげん腹を決めているつもりなのですが、やはりこういう状況に直面すると、どうしたってついムカムカきてしまうものです。
その女性の肩とこちらの足が10センチぐらいになって上半身だけ傾けて棚を見ようとするのですが、それは向こうも当然わかっているクセに、「断固として」動きません。

なんでそこまで頑張るのかと思いますが、いやはやこういう手合いにかかってはどうしようもありません。
あまりこんな手合いにこだわるのもバカバカしい気がして、さっと別ジャンルの売り場へ行って、そのあと近くのヤマハへ移動しました。

天神のヤマハは2階が楽譜や書籍の売り場ですが、マロニエ君はある新刊書を探していました。
ところが、な、なんと、さっきの本屋とまったく同じスタイルで、似たような年齢と思われる女性がやはり書棚の前にかがみ込んで、せっせと手にとって本を見ています。

ここではマロニエ君の見たい場所は、その女性が見ている箇所とは垂直線上で重ならないことが幸いでしたが、その女性はさっきと同じようないやに腰の座った雰囲気で構えが深く、こちらもどうして、少々のことでは動きそうにはありませんでした。
さっきと違うのは、いきなりガッと顔を上げてこっちを見上げてきたので、さすがに今度は人の気配を察して動きがあるのかと思うと、さにあらず、また元通り本を見始めて、公衆道徳らしきものは微塵も感じられない自己中オーラをバンバンと発散していました。

まあ、それだけの事ですが、なんだか無性に嫌なものに触れたような気がしてしまいます。
現代人は一皮むけばこういう本性を抱えているからこそ、表向きはキレイゴトが流行するのかとも思います。

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