自慢大会

日本人ピアニストって、最近どうかしてしまっているんじゃないかと思います。

昨年はある有名男性ピアニストが、一日でショパンのソロ作品を全曲暗譜で演奏するというギネス認定のかかった記録挑戦コンサートをしたことは、記憶に新しいところです。
開始から終了まで実に十数時間、時計が優に一回り以上したようで、こういう企画にショパンの音楽が使われること、あるいはせっかくの優れた才能を濫費することじたい、非常に不愉快かつ、そんなことまでやって目立ちたいのかと思いました。

もちろんその途方もない能力そのものには敬服しますが、音楽芸術に携わる演奏家としてはなんとも節操のない、恥ずかしいことをしたという印象はどうしても拭い去ることはできません。

あんなことはいやしくも芸術家のすることではなく、「俺はこんなこともできるんだぞ、どうだすごいだろう!」という内容の大がかりな自慢大会にしか思えません。
大した俗物根性というべきです。

これはさぞかし、この世界でも物笑いの種になったことだろうと思っていましたが、どうもそうではなく、その破天荒な記録を打ち立てたことに、同業他者は「やられた」という敗北感でも味わったのか、それに続くようなバトル的なコンサートが発表されて、さらに驚かされました。

今度は別の有名男性ピアニストですが、夏にラフマニノフのピアノ協奏曲全曲(パガニーニ狂詩曲を含む全5曲!)を一日で演奏するという重量級の挑戦的コンサートをおこなう由で、さらにひと月おいて、こんどはソロ、有名ゲストを招いての合わせものまで、この人のピアノを中心とした5日連続コンサートという企画が打ち出されており、すでに派手なカラー広告などが打たれています。

それにしても、誰もかれもがここまでやらなきゃいけないものかと思います。

なるほど今は、ちょっとでも油断すると押し流されてしまう世の中ですから、少々のことをしてでもステージにしがみついていかなくてはという裏事情はもちろん察します。
しかしです、目立つこと、世間に対してアッと驚くインパクトを与えることで、自分を露出・誇示するような無謀なコンサートを仕掛けることが、演奏家の残された道となっているのだとすれば、なんという無惨なことかと思わないではいられません。

こんなことをしていたら、演奏の質そのものより、ただ単に記録的なコンサートの達成を見守ることだけに関心は集中し、いかなる演奏をしたかという本来の価値などは二の次三の次になってしまうでしょう。
質の高い音楽を生み出すことより、超人的なパフォーマンスで人の注意を惹く技巧、記憶力、体力、気力の維持に全エネルギーを消耗させるだけに違いありません。

なんらかの人生ドラマで人を呼び込めない人は、今度はこんなトライアスロン的挑戦ができなきゃダメというようなこの風潮ははやくおさまって欲しいものです。

こうやって本来の音楽からどんどん逸脱するバトル的な流れは、コンクール至上主義より、さらにおかしな方向へと迷い込んでいるようにも感じます。

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