知人達との食事を兼ねて、初めて新しい博多駅で数時間を過ごしました。
今回は阪急百貨店には行きませんでしたので、おもに東急ハンズを含むアミュプラザ博多周辺の印象になりますが、やはり話題のわりにはマロニエ君の好みではありませんでした。
全体に感じたことですが東急ハンズなどは、いわゆる低価格競争ではない路線を行っているぞといわんばかりの感じですが、本当にいいものというわけでもないのに、ちょっと上であるかのようなイメージ戦略のようで、却って中途半端だと思いました。
上階で食事もしましたが、さらにこの傾向は強まり、まことに思い切りの悪い中流志向の雰囲気だと思います。
値段はそこそこで、うっかり入れないような価格の店が何軒もあるかと思うと、ずいぶんくだけたものもあり、ようするになんの道筋も通っていないバラバラな印象です。
全体の雰囲気も、今どきの新しめセンスでまとめられてはいるものの、じゃあ本当の高級な空間かといえばまったくそうではないし、ここのコンセプトに見え隠れするものは、やってくる田舎の人達を相手に、博多の新スポットという上から目線の雰囲気を浴びせかけながら、ちょっと高いものを売りつけてやろうという魂胆が感じられて、ちょっと賛成しかねるものがありました。
東急ハンズもそれほど熱心に見たわけではありませんが、基本は概ね大衆品なのに、一般的平均よりちょっとお高いほうぐらいのものを集めて、ただ明るくきれいにディスプレイされているだけで、いかにも表面的でほとんど興味をそそられませんでした。
あれなら潔くホームセンターに行ったほうがよっぽど爽快ですし、あんな中からちょこっと何か買っていい気分になっている人がいるとすれば、それがまさに店側が狙っている客層ということでしょう。
もちろん全部すべてを否定するものではありませんし、中にはそれなりのものもあるはずだとは思います。
しかし全体を覆っている、中核をなす精神は、まさに今述べたようなもので貫かれており、却ってどこか貧乏くさい気分になっていまいます。
こう言っちゃなんですが、もともとマロニエ君は駅というものが好きではありません。
これは交通拠点としての駅ではなく、そこに相乗りした商業エリアとしての意味です。
駅はそもそも人がゆっくり寛いだり遊びに行くような場所ではなく、列車やバスの乗り降りという人や物の移動のための交通施設であって、せわしない、強いて言うと柄の悪いところだというのがマロニエ君の基本認識です。
周辺には飲み屋などがひしめき、駅そのものも何かの雰囲気を楽しんだり文化の香りのするところではなく、所詮は日がな一日人が行き交い、その無数の人達の土足で情け容赦なく踏みつけられる機能重視の場所、それが駅だと思うのです。
駅というのがそもそもそんなところなので、そこにどんなに現代的な、オシャレな、きれいな商業エリアを作ってみたところで、悲しいかな根底にざらついたものを感じてしまいます。
騒々しく、人の波が交錯するような場所で、どんなに高級店に入って食事をしてみても、存在している場所そのものがすでに駅なんだし、お店も一稼ぎしたくて話題のエリアに出店しているまでで、所詮はまやかしだと思います。
すぐ傍では、ひっきりなしに列車が発着し、それをめがけてバスやタクシーが際限もなく往来する、家でいえば駅は書斎でも応接室でも座敷でもない、所詮は下駄箱のある玄関にすぎません。
どんなに粉飾しようとも、それが駅である以上、そんな土足で踏み荒らす実用第一の場所だという事実は拭い去ることはできません。
マロニエ君はむかし横浜に住んだこともありますが、当時の横浜も商業的中心と横浜駅は二つがひとつで、とても落ち着きのない文化性の低い、ガサガサした騒がしいだけの印象がありましたが、新しい博多駅に行くと、ついそういう記憶が蘇ってくるようでした。
交通手段として博多駅を利用する人は別ですが、遊びに行くのは…1~2回行けばじゅうぶんです。
どんなにきれいなものを上に作って覆い被せても、駅というものの根底に流れる、粗っぽく侘びしい空気は変えられない気がします。