ゾウゲ

人の好みは様々ですから、何をどう好もうともそれはまったく自由なのですが、傍目には首を傾げてしまうことがあるものです。

ネット上のある書き込みを見ていると、ピアノの購入予定者が象牙鍵盤であるか否かをかなり重要な要素としてこだわっているのを見かけました。
海外からの輸入の際の書類の申請などはわかるとしても、気に入ったピアノがあっても象牙鍵盤でない場合は、象牙への張替が出来るかどうかという点に関心があったり、新品でも何型以上は象牙&黒檀の鍵盤になるなど、その点ばかりに意識が集中している様子にはちょっと驚きました。

こういう人の発言を見ていると、象牙鍵盤とはどこがそんなにいいものかと考えさせられてしまいますが、おそらくは確たる根拠もないまま、高級感とか稀少性にひきつけられているような気もしないでもありません。
こういう人はもう頭からプラスチックはダメだと思いこんでいるんでしょうね。

もちろん、そこに価値をもつ人にとっては重要な問題なのかもしれませんが、ピアノはやはり楽器なわけですから、楽器としての性能が第一では?とも思います。
もちろん、一流品になれば、そこには工芸品的要素とか骨董的な価値、稀少性などが加わってくるのはわかりますが、鍵盤が象牙か否かということばかりに価値を置きすぎるのは、本来のピアノの評価としてはいささか偏りがあると言わざるを得ません。

マロニエ君は子供のころから20年以上、ヤマハの白鍵は象牙、黒鍵は黒檀のピアノを弾き続けてきましたが、それがそんなに重要なことだと思ったことはついにありませんでしたし、むしろ象牙・黒檀いずれも下手をするとかえって滑りやすいなどの欠点もあるわけで、一長一短という程度の印象しかありません。
また、場合によっては、激しく使い込まれた象牙は(品質にもよるのかもしれませんが)、まるでテフロンのフライパンみたいにツルツルになり、弾き辛いことといったらありません。あんな恐ろしいものは自分のピアノでは絶対に願い下げです。

たしかに象牙/黒檀の鍵盤にはプラスティックにはないあたたかな風合いや色合いがあるのはわかりますが、象牙ならなんでもいいというわけでもなく、とくに近ごろの象牙は品質がよろしくないようで、繊維が荒くて見た目にもとても下品で、あんなものでもいいんだったら、水牛の角でもなんでもいいのでは?と思います。

もしも、まかりまちがって日本製ピアノの上級機種にある象牙鍵盤仕様のピアノを新品で買うようなことがあれば、マロニエ君なら躊躇なく白鍵は良質のプラスチックにしてもらいます。

ところが巷の象牙鍵盤支持派の思い込みは、ほとんど信仰に近いものがあり、以前もやや年代物の有名ブランドピアノをお持ちの方がおっしゃるには、ご自分のピアノは鍵盤が象牙であることがまず第一のご自慢で、ゾウゲ、ゾウゲとそこに格別の価値とプライドを感じておられるようでした。
象牙鍵盤というだけで、まるでピアノそのものまで最高品質のものであるはずだ…というような、根拠のない一途な思い込みには驚くばかりです。

マロニエ君なら、鍵盤の材質などより別の部分によほど神経を尖らせますが、これもまた人それぞれだといえばそうなんでしょうね。
ある一箇所にとても強いこだわりを持ち、自分としてはそこが期待通りのものでなくてはどうにも満足できないという気持ちは理解できますから、それが象牙鍵盤だとしても、それはその人にとっては価値があるというのはわかります。

ただし、客観的な楽器の価値と個人的こだわりは一線を引くべきだと思います。
いずれにしても皆さんいろいろこだわりがあって満足を得るためには大変なようです。

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