がんばりたくない

昨日はピアノクラブの方が数名来宅されました。

というのも、かねてよりマロニエ君がまとめて注文していたダンプチェイサーを取りに来られるという目的があったのですが、せっかくなのでお上がりいただき、しばらくピアノを弾くなどして遊んでいただきました。

定例会や練習会とはまた雰囲気が違うのか、はじめは遠慮がちでしたが、しだいに空気もほぐれてか、少しずつ弾いていただけるようになりました。以前、思いがけず爆奏会みたいなことになったことがあり、この慎ましさはなんと麗しいことかと思いました。

自分のピアノというものは、自分が弾く時以外にその音を聴くチャンスはなかなかないもので、むかしはよくコンサート前に練習に来られる方などがあったのですが、ここ数年はあまりそれもなく、久々に自分のピアノの音を人様の演奏で聴かせていただくことも出来て、マロニエ君自身、大いに楽しめたところです。

雑談で驚いたのですが、関東のほうのあるピアノクラブでは、会の終了後に各人の演奏についての批判などがあり、それに依拠して指導の時間などまであるのだそうで、話から受けた印象では、互いに楽しむというよりは互いに学び合うという感覚のようでした。いってみれば「ピアノの勉強クラブ」というところでしょう。

なるほどピアノは本気で学ぼうとすればするだけ際限のない世界で、自分の演奏の向上のために同志が集って勉強するというのもひとつの在り方なんだろうとは思いますし、それを実践するとは、立派なことだと感心もしますが、しかし、マロニエ君だったらそんなこと、まっぴらゴメンだと思いました。

仲間が向上心を持って集い勉強し合うのは基本的には素晴らしいことに違いありませんが、マロニエ君などはなんのためにピアノクラブに参加しているかと自問すると、ピアノを通じて仲間との楽しい時間を持ち、それによって浮き世の雑事から解放されたいからなのであって、あらためてピアノを学ぶとなると、それはもう尋常なことでは成し遂げられないことだとそもそも思うわけです。

こういう考えは、何事にも真摯な向学心を持って取り組むやる気旺盛な人達から見れば、ただの怠け者の戯れ言のように思われるかもしれませんが、要は好きなピアノを通じて、楽しい時間を共有できる友人の輪が構築できることの方に意義を置いているわけですから、根本的に求めるものが違うようです。

それに、そんなことにでもなれば、結局行きつく先は、どうしても指のメカニックや譜読みの技術の優れていることなどが重要視され、ひいてはそれが会の秩序となるような気がします。ピアノを愛する者にとって、難曲をも弾きこなすことはもちろん素晴らしいことですが、しかし、それが人の序列の根拠のようになるとしたらまったくゴメンです。
ま、ひとくちに言えば、この歳でいまさらそんなにがんばりたくはありません!

我が家での話に戻りますと、ソロあり、連弾あり、2台ピアノありで、いつもとはまたいくぶん違ったかたちで遊ぶことができたように思います。
ピアノ遊びは思った以上に時間の経つのが早いもので、夕方まであっという間のことでした。

次はもう少し合わせものの練習でもしておきたいところですし、昨日は来られなかった方にもぜひお立ち寄りいただきたいと思います。

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