最近しみじとわかったことがあります。
ごく一般論として、男と女とではどちらがケチかというと、それは公平なところ男だろうと思います。
むろんこれは個人差の話ではなく、中には気前のいい男性もいればケチな女性もいることは百も承知ですが、それでもやっぱり全体として見た場合、男のほうが体質的にケチだというのが結論です。
買い物ともなると財布の紐は平均的に堅く、なかなか購入という現実行動に入らない人は実に多いものです。
お金を使うことは多くの場合、苦痛もしくはすこぶる慎重で、自分の財布からお金が出ていくことが本質的に嫌らしい。
その点では、女性のほうが目的に対しては飾らず正直で一直線、度胸と一途さがある人が多いと思います。
なにが一番違うかというと、男はとにかくあれこれと比較検討するのが好きですし、その段階からすでに楽しんでいるということもあるでしょう。これはマロニエ君も思い当たるところがないわけではなく、買い物を前提とした下調べというのには一種独特な楽しさがあるもので、とくにネット社会になってからというもの、それが安易かつ網羅的にできるようになりました。
こういう調査を通じて、いろいろな良し悪しの実情を知ったり、付随的に知識が増えたりすることもあれば、マニアックな心理を満足させられたりと、購入に際しての調査には有効かつ興味をそそられる面があるのは認めます。
しかし、初手から絶対に損をしない確実な買い物がしたい、しかもできるだけ安く、それでいて人も羨む本物が欲しいという甚だ虫のいい魂胆を垣間見ることがあるのです。
気持ちはわからないではありませんが、ものには自ずと限度というものがあり、この手の調査をやりすぎる、あるいは検討時間がやたら長すぎるのは、隠された本音を疑ってみる必要が出てくるわけです。
つまり、そもそも買う気があるのか…これが甚だ疑わしくなってくる。
このタイプは「買う」という大前提を打ち立てておいて、それにまつわる会話や時間そのものを楽しんでいるという、まことに安上がりの悦楽に浸っている場合が少なくありません。
しかも最終的な決断を下す決定権は、自分の買い物である以上、当然ながら自分ひとりが握っているわけで、ここはいかなる余人も手出しのできない領域というわけです。こういう現実が、一種の自在感をもたらし、ささやかな権力志向にさえ繋がって、当人はその快感に酔いしれ、なかなかやめられないでいるようです。
マロニエ君の友人に言わせると、彼らはあくまでも未定の、将来の、責任の発生しない話題(しかも話だけならタダの)をふりまいて人の関心を引き寄せて、その話の主役となり、まわりの反応を「おかず」にして楽しんでいるのだといいます。
こういう人は小心者のくせに見栄っ張りで、なにかといえば言い訳が多いのですが、それもまた男によくある特徴といえばそうなのかもしれません。やたら裏事情などが大好きで、己一人がいつも賢い目線のトークを繰り広げるのですが、かえって他者の目にはその人が小さく滑稽に見えてしまうものです。
まさに1円の出費もなしに話の世界を飛び回り、虚構の快楽を楽しんでいるわけですが、だいたいこの手はいつまで経っても買うことはないので、そのうち誰からも本気で相手にされなくなります。
しかも、今どきは表だって追求するようなことはしませんから、本人はいつまでもそこのところに気がつきません。
こういう人はどこにでもいるもので、マロニエ君も以前は本気になって話に乗せられていましたが、だんだん鍛えられて最近では真贋を冷静に見定め、そのいなし方もわかってきました。
本気で買う人は、はじめから意気込みなどに現実感と迫力があり、どこともいえず違うものです。
どれを見ても気に入らなかったり、あれこれ注文の多い人というのは、概ね「買わない理由を探している」のです。