S社の凋落

アルゲリッチの東日本復興支援チャリティCDで、もうひとつ感じたことを少し。

実はこのCDでのマロニエ君が最も残念に感じたのはピアノそのものでした。
ただし、これはこの演奏会だけのことではありませんので、その点は念のため。
とにかくピアノが絶望的に鳴らないことです。
もちろん録音物は会場の条件やマイクの位置や性能、あるいは技師の指向など、あらゆる要素が絡みあっていることなので、それだけを聴いて軽々な事は言えないことはこの世界の常識として重々わかっているつもりですが、ただ、そんな微妙さの問題ではなく、ピアノが悲しいほど、ただ単純に鳴っていないことは誰の耳にもあきらかです。

つい先日もテレビで、ロジャー・ノリントン指揮するN響の定期公演(サントリーホール)で、オール・ベートーヴェン・プロをやっていましたが、いつも義務的なしらけた演奏しかしないN響が、さすがにこの大家を迎えて渇を入れられたのか、普段にはない気合いの入った重厚な演奏をしているのは嬉しい驚きでした。
冒頭の「プロメテウスの創造物」序曲からしていつものN響とは響きと厚みが異なり、続く交響曲第2番では、ベートーヴェンの全交響曲中この最も知名度の低いこの作品を、大いに手応えのある堂々たるドイツ音楽として披露してみせました。
そして最後を飾るのが、ドイツの俊英マルティン・ヘルムヒェンを独奏者に迎えての「皇帝」でした。

ところが冒頭のピアノのアルペジョが鳴り出すや、もうひっくりかえりそうになりました。
ここで聞こえるピアノの音も、上記のCDとまったく同じ音で、耳栓でもしているようにくぐもった精気のない細い音しかせず、とても皇帝のあのエネルギッシュな前進する音楽を聴いている気がしないのです。ヘルムヒェンはまだ若くて未熟なところはあるのもも、キレの良さと作品に対する献身的な演奏姿勢は概ね好感の持てるものでした。

しかし、彼がどんなに力んでも気持ちを込めてもピアノがそれに応えきれず、自然と音楽そのものが沈殿していくのが手に取るようにわかって気の毒でした。オーケストラも前2曲で見られた覇気がなくなり、いつものしらけた調子に戻ってしまったのは演奏者も聴衆も大変不幸なことだと思います。

さらに言えば先日のショパンコンクール入賞者達によるガラコンサート(こちらはオーチャードホール)でも同様でした。
すべて会場も違うのでピアノも違うはずですが、どれも「同じ音」なんです。

これはもちろん有名なS社のピアノですが、どうもここ最近の新しいピアノ特有の、ほとんど量産品としかいえないような深みもパワーも輝きもない、貧相にやせ衰えたあの音は個体差でもなんでもない、このモデルに共通する特徴であることが間違いないようです。

アルゲリッチのCDの演奏会場はすみだトリフォニーホールで、ここは1997年の開館ですから、その当時導入されたピアノなら、まだまだこんな状況になる時代のピアノではないはずですから、そのピアノだとはマロニエ君はまず思いません。
もしかすると10数年経過したということで新しいピアノに買い換えたのかとも思いますが…。

それにしても、ひどいです…。
まともに曲の輪郭も描くことができず、かろうじてS社の音の残像のようなものだけが弱々しく聞こえていました。
まるでフタを閉め、カバーを掛けて弾いているように音がこもり、聴いていて虚しくなります。
先人達が築き上げたブランドにあぐらをかいて、あんなものを堂々と作って販売しているようでは、他社にそう遠くない時期に追い越されてしまうのではないでしょうか。いや、すでに現在がもうそうなのかもしれません。

マロニエ君は子供のころから、なにしろこのメーカーのピアノが好きで、心底惚れ込んだピアノでしたが、しかし同社の新しいピアノをあちこちで聴く(弾く)につけ、ついにここまできたかと思わせられることがありすぎです。
メーカーが企業体である以上、利益を追求するのを責める気はありませんが、そのために、これほど露骨に品質を落とすのはとても納得できません。

サイドのロゴが大きくなってからのピアノ、さらには下面の支柱が黒から木肌色になって以降、さらにもっと言うとここ1〜2年の新しい大型キャスターが付いて以降のピアノは、いかに贔屓目に見てもいただけません。
メーカーがあんなものを平然と作る以上、ファンがどんなに善意の解釈をしてみたところではじまりませんね。

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