自己顕示症

自己顕示欲というものは、多少は人の心の中に存在するものでしょう。
ところが、これの旺盛な人はほとんど病気のごとくで、まったくどうにもつける薬がありません。
つける薬がないという点においては○○と同じです。

作家の三島由紀夫は、救いがたい自己顕示欲の持ち主を「自己顕示症」とさえ呼んだほどです。

この自己顕示症を発症した人は、必然的に空気の読めない、もしくは読もうとしない人を意味します。
それも理で、空気なんぞ読んでいたら、どうしたって遠慮というものが必要になってしまいますから、そんなものは邪魔でしかなく、この手の神経の持ち主にはなんの意味もないことでしょう。

動物と同じで、必要ない機能は大自然の摂理にしたがって、さっさと退化してしまうということかもしれません。

いろんなところにこういう人は出没するものですが、だいたい人の集まりのようなところにやってきて、のっけから腕自慢をやったり、自分の力の誇示に熱中するような人は、その人間性や感性においても、おそらくは孤独な人であることが読み取れます。

そもそもの目的が、人と交わり仲間の親交を深めることよりも、喝采を浴びることなんでしょうから、自分の崇拝者は欲しくとも、対等の関係が基本である仲間はもともとご所望ではないのかもしれません。
こういう人は、概して日ごろはかなり満たされない毎日を送っているはずで、そういうものに対するいわばうっぷんを晴らしをせんがためにも、ときに快感に酔いしれる非日常を求めて彷徨っているのでしょう。

遠慮や協調というようなものはいささかも持ち合わせがなく、ひたすら隠し持った野心を道連れに遠路をものともせずに動き回り、さて自分の姿がどんなふうに映っているかはまったくわかっていません。

自慢はすればするだけ効果を上げ、周りは感心し、そのたびに尊敬を集めるとでも思っているのでしょうね。
こういう人こそ、人の心の奥深さとか本当の怖さをろくに知らず、ひとり優越感に浸ったり、周りを見下したりしているつもりでしょうが、実は自分のほうが遙か浮いてしまっていることには、ほとんどウソみたいに気が付かない鈍感人であったりします。

そもそも少年野球にひとりだけ大人のプレイヤーが入って、その技を見せつけるようなことをして何が楽しいのか、こういう幼稚な心理には、到底理解の及ばないものがあります。

最近は「どや顔」という言葉が流行っているそうですが、巷にこういう人が増えているということかもしれません。

なにぶんにも本人が気付くしかないことなので、ほとんど改善の希望は持てません。

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