続・コロリオフ

エフゲニー・コロリオフは1949年モスクワ生まれですから、今年で62歳。
まさにピアニストとして絶頂期をひた走っている年齢だといえるでしょう。

しかしこのコロリオフという人はピアニストとしてひた走るといった表現が必ずしも適切ではないような印象です。

プロフィールを見れば、師事した教授陣も錚々たる顔ぶれで、ハインリヒ・ノイハウス、マリア・ユーディナ、レフ・オボーリンというロシアピアノ界の重鎮がずらりと並びます。
コンクール歴も輝かしいものでバッハコンクールをはじめ、クライバーン、ハスキルなどの国際コンクールに次々に優勝しており、レパートリーにはロマン派もあるようで、実際にショパンやシューマンのCDも僅かながら発売されているようですが、本領はやはりバッハなどの古典にあるようです。

「栴檀は双葉より芳し」の喩えのごとく、17歳の時に、モスクワでバッハの平均律クラヴィーア曲集の全曲演奏会を行ったとありますから、やはりタダモノではなかったのでしょう。
現在は世界の主要な音楽祭にも数多く参加しているようですが、来日はずいぶん遅れたこと、またCDデビューが40歳のときの「フーガの技法」だということですから、その年齢や内容からしても、まるで大衆に背を向けた芸術家としての姿勢を貫いており、いわゆる商業主義に乗らないピアニストということが読み取れるようです。

ハンガリーの現代作曲家リゲティが「もし無人島に何かひとつだけ携えていくことが許されるなら、私はコロリオフのバッハを選ぶ。飢えや渇きによる死を忘れ去るために、私はそれを最後の瞬間まで聴いているだろう」とコメントしたことが、コロリオフの評価を決定的にした一因のようにも感じます。

このところ集中的に聴いているCDでは、フランス組曲ではより端正なアプローチがうかがわれ、これはこれで傑出した美的な演奏に違いありませんが、強いて言うなら、ゴルトベルクのほうに更なる輝きがあるようです。

とくに面白かったのはバッハ編曲集で、リゲティ同様、ハンガリーの現代作曲家であるクルタークによる4手のピアノのために編曲された作品集では、読み方がわからないもののもう一人のピアニストとの共演ですが、演奏はあくまでコロリオフ主導で、コラールなどがなんとも澄明な美しさに照らし出されるような音楽で、バッハは目指したのはこういう音楽だったのかと思えるほどに天上のよろこびを伝え聞くようでした。

ほかにコロリオフ自身の編曲によるBWV.582のパッサカリア、クラヴィーア練習曲第3巻(全11曲)と続いていくわけですが、どれを聴いても極めて純度の高い音楽そのものが目の前に立ち現れることに何度も驚かずにはいられませんでした。

あまりに感銘を受けたので、YouTubeで検索したところ、ライプツィヒのバッハ音楽祭に出演した際のゴルトベルクの演奏の様子がありました。そこに観るコロリオフは、およそコンサートアーティストらしからぬ地味な出で立ちで、黒いシャツのボタンを一番上まで止めた、まるで研究と演奏に明け暮れる質素な古楽器奏者のようでした。
しかし、そのシャツの袖口から出たその手は、まるでショパンの手形のように細い指がスッと伸びた繊細なもので、なるほど、こういう手からあのようなすみずみまで見極められた、聴く者の心を捉える自然な音楽が紡ぎ出されるのだと思いました。コロリオフのタッチと音にはくっきりとした明晰さと充実した響きがあると感じていましたが、妙に納得した気になりました。

こうなると、バッハは当然としても、ショパンなども聴いてみたいという興味が出てくるようです。

続・コロリオフ」への1件のフィードバック

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    デュオ・コロリオフの相方は、奥様のリュプカ・ハジ=ゲオルギエヴァさんです。

    今はハンブルク在住のはずですが、1976年には、結婚を機に、チャイコフスキー音楽院の教職を辞めて、奥様の活動拠点である旧ユーゴスラヴィアへ移住したようです。
    このことがその後のキャリアに影響して、注目されるのが遅くなったのかもしれませんね。

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