過日、欲しい本があってアマゾンで検索しているときのこと。
アマゾンでは、頼みもしないのに検索した商品と関連のある本やCDなどを探し出しては、画面の下の方に次々に表示してくれます。
その中に「○○家にストラディヴァリウスがきた日」というタイトルの本が表示されました。
この本の存在は以前から書店・楽器店で見て知っていましたが、ある日本の女性ヴァイオリニストが歴史的なヴァイオリンの名器を手に入れるについて、おそらくはその顛末をまとめた「ひけらかし本」だろうと想像されました。
しかも著者は本人ではなく、そのヴァイオリニストのお母さんというのもいかにも定石通り。
そんな露出趣味そのものみたいなものを買って読む気などさらさらないマロニエ君は、書店でも中を見るどころか、手に触れることさえしませんでした。
しかもこの本、意外にどこでもよく見かけるので、はっきり言ってちょっと目障りでした。
その「○○家にストラディヴァリウスがきた日」の中古品がタダ同然みたいな金額で数件表示されていたので、これには却って興味を惹きました。
そんなに笑ってしまうような値段なら、よし、怖いもの見たさで買ってみようかと妙な気をおこし、購入手続きに進みました。送料以外は事実上ほとんどもらうようなもので、出品している書店にも手間ばかりかけて申し訳ないぐらいす。
3日後に届いたのは、まるで新品かと思うような傷みのないピカピカの本でした。
さっそくページを繰ってみたところ、はじめの数ページを読んだだけで、想像通りというか…相当に手強そうだということはすぐに察しがつきました。
まずこの家の家風と厳格な父親の教育方針が紹介され、さらにこのヴァイオリニストである娘の上にいる二人の兄が、これまた画家と作曲家という道に進むについての経緯、東京芸大を受験するに際しての気構え、お見事というべき父親の愛情に裏打ちされた教育理念など、妻であり母である人物の視点から、これらが臆面もなく滔々と述べられています。
祖父の時代から続く学者としての家系、普通なら1人でも現れれば御の字の才能豊かな子供が3人も続いて出たこと、そして父の威厳に満ちた存在と姿勢の中で、それぞれが自発的に努力を重ねて目的を遂げていくなど、文章はまるで道徳の教科書か、なにかのプロパガンダの文章でも読まされている気分でした。
はじめはその圧倒的な違和感に耐えきれず、何度か放り投げようかと思ったのですが、それでも意地で読み進みました。
この本全体は、徹底して家族愛の名の下に発せられる、甘ったるい善意の文章の洪水で、マロニエ君のような者にはまるで出発点からセンスが異なり、思わず肌が粟粒立つようでしたが、それもオカルト的刺激と思って楽しむことに。
このお母さんは、文中で「ストラディヴァリウスはオークションなどでは何十億もするヴァイオリン」だと何度も繰り返して書いていますが、先日もこのブログに書いたように、今年2011年、日本音楽財団所有のストラディヴァリウスが売りに出され、過去の3倍を越す金額で落札されるまでは、最高額は約4億円だったはずですが…。
むろん途方もない金額には違いありませんが、この本の発行年は2005年ですから、これはいくらなんでもオーバーすぎるようで、なんだか他の内容も下駄を履いているのではないか…という気になってしまいます。
だがしかし、こういう本を読んで心底感銘する人も世の中にはいるのかと思うと…たまりませんね。
なんと、これがきっかけとなったらしく同じ書き手、あるいは娘本人によってさらに数冊が出版されており、いったん覚えた美味は止められないのが浮き世の常というものかもしれません。
そのタイトルのひとつは「○○家の教育白書」という、えらくまたご大層なものになっているあたり、よほど自信がおありなのでしょうね。
ともかく、一度ぐらいこういう本を読むことも、ひとつの人生体験にはなりました。