練習の変化

ピアノクラブに入ってはや2年近くが経ちますが、その結果なにが違ったか、ピアノに関して自分でなんらかの変化が「あったか」「無かったか」と考えてみると、やはりそれなりの変化はあったと思います。

それは、ほんのわずかではありますが、自分なりに少しばかり集中して練習をするようになったということです。
練習の内容も若干変わりました。
以前からマロニエ君の主な弾き方は、山積みにしている楽譜からあれこれ引っ張り出して、自由気ままにトボトボと弾き散らす、ただそれの繰り返しでした。

もともとが上手くもない上に、こんな弾き方をしていれば、当然ながらレパートリー(というのもおこがましいですが)は広がらず、少なくとも自分なりに仕上がった曲というのは、手を付けている曲の数に対してギョッとするほど少ないものにしかなりません。
というか、もっとハッキリ言うとこの調子ではどれひとつとして仕上がりません。
仕上がりに近づく前に、曲はあっちに飛びこっちに飛びで、それで時間ばかり経って、疲れて終わりというのが長年のパターンでした。

しかしピアノサークルに入っていれば、まがりになりにも人前で何か弾くという義務を背負わされ、それが契機になってちょっとこれまでとは違う練習を少しするようになりました。

たとえば、目的もなく勝手に弾いているときは、難しい部分などを充分にさらうことなしに済ませたり、ひどいときはそこは避けて先に行ったりするのですが、人前演奏が前提ともなるとそんなこともしてられません。

そういうわけで、以前に較べるとひとつの曲に集中的に取り組むようになりましたが、そこで発見したのは、自分一人での楽しみでなら、なかなかそこまでしないような突っ込んだ練習をする必要が生じ、どうしても部分練習など、いわゆる楽譜を見ながらだらだら弾いているときとは違う、本来の練習らしい練習をせざるを得ないということです。

難しいパッセージは出来るようになるまで速度を変えるなどして繰り返しさらって困難を克服しなくてはいけませんし、好い加減に済ませていたところも洗い出して、問題をひとつひとつ解決して行かなくてはならず、気がつけば柄にもなく練習らしいことをやっている自分に、へええと驚いてしまいます。

しかし、嬉しいことは、最終的にそれが人前で弾けるものになるかどうかは別として、集中した練習で曲と自分を追い込んでいくことにより、それなりに曲が自分の手の内に入ってくるのはやはりピアノ好きとしては理屈抜きにうれしいことです。こうして得たものはささやかでも自分だけの特別なものです。

一度深く弾き込んだ曲というのは、簡単な練習でなんとか復帰出来るものですが、そんなものが極端に少ないマロニエ君としては、なにもかもを一からやり直しさせられているようです。
まあそれも、所詮は遊びという気楽さがあるのでなんとかやっていることだろうと思います。

これで昔のように試験とか恐いレッスンなんてことになれば眠れない夜が続いて、これまで以上にピアノの前に座ることがイヤになるでしょうけれども、最終的には遊びであり、無理なときはいつでも自分の意志で中止できるという、逃げ場がある点が、かろうじて今のマロニエ君を支えているようです。

実をいうと、最近はだんだん怠け者の虫がうずきだして、またやる気が薄らいできた気がしています。

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