カラオケ族

マロニエ君は自慢でありませんが、これまでに一度もカラオケというものを歌った経験がありません。
これを言うと、へええ!と呆れられることもありますが、人前でピアノを弾くのが超苦手のマロニエ君としては、まさかカラオケでマイクを片手に人前で熱唱するなど、絶対に無理です。
あるとすれば家族が強盗に出刃包丁でも突きつけられて「歌え!」と脅されたときぐらいのものでしょう。

ところが世の中には、このカラオケがのめり込むほど大好きで、我こそはとマイクを奪い合い、中には大会に出るために芸能人張りの衣装まで拵えてステージに挑む人も少なくないというのですから、いやはやその鋼鉄のような心臓には、ただただ恐れ入るばかりです。

最近つくづくと思うのは、シロウトが人前でピアノを弾くという行為を見ていると、下手をすると、このカラオケのマイクの争奪戦に通じる要素が潜んでいるのではないかということです。
歌がピアノになり、マイクが椅子になるというだけの違いではないかということ。

ピアノクラブの定例会では弾く曲も事前に伝えてあり、一定の流れと制約がありますが、それでも余り時間になれば空気が自由になり、ある種の兆候はやや見て取れるものです。
そして、それが一気に噴出するのは「練習会」という、すべてが自由時間のピアノを弾く会などです。
この練習会に限らず、なにかの折に素人がピアノを弾く姿を見ていると感じるのが、上記のカラオケ好きと類似した状況ではないかということです。

マロニエ君もピアノが好きな者の一人として、そこにピアノがあれば弾きたいという単純素朴な気持ちが湧きおこるの理解しているつもりですが、同時に遠慮や気後れがあるのが普通かと思っていました。ところが、むしろ控え目な感じの人などが、ピアノを前にすると人が変わったように、弾きたがり屋に変身するのは唖然とさせられます。

何事においても、ひとつのものをみんなで共用して楽しむ場合には、本質的に遠慮と譲り合いの精神が求められますし、何度か弾けばもうそれで充分じゃないかと感じますが、現実はそうではないようです。
これは一定のところで自制しないことにはキリがないし、それ以上弾きたいのなら自宅か別所でやるべきです。

もうひとつは、趣味の集まりなのだから腕前の巧拙は当然不問ですが、それでも、少なくとも人前で弾く以上は、その人なりの最低限の練習を経たものだけにすべきだとマロニエ君は考えます。

たしかに名前は「練習会」ですが、そこは自分ひとりの空間ではなく、じっと聴いて(くれて)いる人がいるわけですから、ただ自宅と同じような練習のようなことをしたら完全な迷惑行為といえるでしょう。
ピアノのサークルやクラブは、お互いの演奏を我慢して聴くという、いわば「相互我慢会」なわけですから、その認識と平衡感覚だけは失ないたくないものです。
周りの人の善意の気持ちにも限界があることも考慮すべきでしょう。

ごく普通のマナーとして、聴いている人への礼節と謙虚な気持ち、誠実さみたいなものが感じられるものであってほしいのですが、くどいほど何度も弾いたり、ほとんど譜読みの段階のような状態をさらしてまであえて人前でピアノを弾くことに、いったいどんな意味や満足があるのか…マロニエ君にはわかりません。
それでも人前演奏が快感で止められないというのなら、それはビョーキです。

それでも、まだ陽気に楽しく笑いながらやるぶんは周りも救われますが、表向きは真面目派で態度も控えめなのに、実は静かに露出好きというのでは、なんだか暗いマグマが潜んでいるようで恐いです。

ピアノが音を出すものである限り、気を遣うべきはマンション等の近隣だけでなく、同好の周囲に対しても一定の抑制と気遣いが必要ないはずはなく、これはピアノを嗜む者として、常々に認識しておきたいものです。

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