ジミのハデ好き

人は他人を、知らず知らずのうちに外観でなんらかの判断しているようです。

考えてみれば視覚というのも重要な情報源であって、視覚的要素だけを完全に切り離した判断などは極めて困難であり、そもそも自然に反することだろうと思います。視覚情報は無意識の中で大きな割合を占め、なんらかのイメージの形成に少なからず影響があるというのが現実だと思います。
どんなに「見た目じゃない、内容重視だ」といってみたところで、視覚から得た情報にまったく左右されないなどと果たして言い切れるでしょうか? 
言いきれる人がいるとしたら、それはとんだ思い上がりか、はたまた並外れた能力があると言わなくてはなりません。

人が他者を認識する上で、話の仕方や内容、性格など相手から伝わる様々な印象に、顔かたちや雰囲気などの視覚的な要素は当然ながら絡んでくるわけで、その総和によって自分なりのイメージというものを作り上げていることは否定できません。

ところがこれで裏切られ、大変な間違いを犯すこともあるわけで、後になっておおいに「見誤った」ということがあるのは事実で、その中には非常に意外なひとつの厳然たるパターンを見出すことができるのです。

それがタイトルの「ジミのハデ好き」というわけです。
地味な人というのは、典型的なタイプで言うと、存在感がない、立ち居振る舞いもジミ、性格も目立たない、人の印象にも残らない、社交性がなかったり、頭が良くても才気がなかったり、オーラとは無縁であったりと、やはり外観もそれに応じて地味な印象の人が多いものです。
その言動も、なにかにつけ表に出るタイプではなく、陰と陽なら陰の役割で、必ずその他大勢に分類されるタイプというところでしょうか。

こういう人と接していると、ごく自然な印象として、おそらく何事にも控え目で静かなタイプ、真面目というか慎重というか、「派手なことはむしろ嫌いなのだろう」という印象を自然に抱いてしまいます。
ところが、それがまったくの誤りだということに気が付く時が、あるときふいにがやってくるのです。
それは、その人のいろいろな言動に触れることによって、内面の本質が少しずつ見えてくる時といってもいいかもしれません。

もうおわかりですね!
こういう地味な人に限って、内心では相当の派手好きだったり、目立ちたいという願望や憧れを人一倍強く持っているということがあり、実際このタイプはかなり多いと思います。そして最終的には、普通のハデ好きな人もはるか及ばないほどのハデ好み、目立ちたがりだったりするわけですから、それは常に屈折した形でしか顕れることはありません。

きっと自分では華やかでありたいという内なる欲求が、自分の中で長年醸成され膨れ上がって巨大化し、しかしそれは何重にもジミな包装紙にくるまれ、あくまで隠匿されてきたせいだと思われます。
人間は「自分にないものを求める」という言葉通りなのかもしれません。
強烈な上昇志向の持ち主が、実は暗い生い立ちの反動だったりするのと共通しているかもしれません。

マロニエ君はさまざまな矛盾からある時この法則的事実に気が付いて、はじめは大変意外に思ったものですが、心理形成としては大いに納得し、思い当たる人々をあれこれを当てはめてみると、その法則がバンバン当てはまりました。

たとえば、ネット上では大いに語りまくる多弁この上ないような快活な人が、実際に会うと言葉も少なく伏し目がちな、予想とはかけ離れた別人だったりして唖然とさせられるようなことがしばしばあり得ることは、むかしオフ会などを経験した人ならおわかりだと思います。

ブログなどにもそれがあり、現実からは程遠い別世界を作り上げ、そこの主となり、これでもかという自己願望の放恣な羅列を目の当たりにすると、人の内面の怖さを覗くようでゾッとすることがあるのです。

人間は極めて奥の深い複雑怪奇な生き物であることは否めませんが、だからといって、あまりにも秘めたるマグマを抱え持っているというのは、笑っているうちはいいですが、最終的には多重人格的というか、どこか怖いものがありますので、これの甚だしい方とは極力かかわりたくはありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です