キレイゴト汚染

「一人でも多くの人に元気があたえられたら…」「少しでも笑顔が取り戻せるなら…」

こんなコメント、昨日もまた新聞で見てしまいました。
キレイゴト真っ盛りの日本列島ですが、とりわけ3月の東日本大震災いらい、この手のセリフは飽きられることもなく日本全国のありとあらゆる機会に発せられているようです。
こういう、いかにも実のない言葉の横溢の中で、殊勝な顔をして過ごして行かなくてはいけない現代人は、毎日が偽善にあふれ、だから人の心にも必要以上に闇が生まれ歪んでくるようにも思います。

もちろん、その言葉が本当に適切で妥当な使いかたをされるのならば構いませんが、マロニエ君の印象としては99%不適切な使い方をされているようで、この種の言葉を聞くたびにウンザリします。
また感性の点においても、このようないかにも独創性のない、紋切り型の便利語を撒き散らしているうちは日本は本当の幸福を手にすることは出来ないように思います。

被災地から遠く離れた場所で、ただ単にささやかなコンサートやイベントを開くのに、いったいそれが被災者とどういう関係性があるというか、その主張がまるで意味不明です。おそらくこういうコメントを本気にして、心からそう信じている人などいるはずもなく、みんなこういう言葉は建前だということがわかっているのだと思われます。
中にはチケット収入からささやかな義援金を送るなどの行為もなされているのかもしれませんが、だったら黙ってすればいいわけで、それをいちいち前面に出して声高に言いたがるのは、こんな立派なことをやっているという自己宣伝としか受け取れません。

むろん中には復興支援のために本当に役立つ催しもあるでしょう。それならばその甲斐もあるというものですが、ほとんど個人レベルのものとか、震災とはどう見てもなんのかかわりもないようなものに、いちいちこんな建前を便乗的に貼り付けて、お手軽に時流に乗ろうとするのは、かえって不誠実で、ものを考えない日本人の本当に悪いクセだと思います。

コンサートなんてものは、要するに主催者と演奏者の都合によってのみ開かれるものです。
さらにそれが被災地から遙か遠く離れた地域で行われる小規模コンサートとなれば、聴きに行く人の実態もお義理やお付き合いなどが大半ですが、その人達が、そのコンサートを聴くことによって、震災その他で傷ついた心が少しでも癒され、ましてや元気が出るなんて、そんな魔法みたいな現象など起こるわけがないでしょう。

主催者や演奏者が本当にそんなことを思っているのだとしたら、それは途方もない傲慢と勘違いであって、おめでたいことこの上ありません。
自分と関係者の都合だけでやっているコンサートに、よくこんなご大層な看板を脇に立てて、まるで慈善事業でもやっているような口ぶりになれるものだと思います。

本当にそう思うのなら、現地に入ってもっと実利的な奉仕作業でもやってこそではないでしょうか。
さらには本当に日本人が元気が出るとするなら、それは少しでも健全でまともな政治が行われ、さらには有能かつ信頼できる指導者が復興の指揮を執って政治経済の両面からの建て直しが達成され、それによって人心がいくらか報われたときだと思います。

マロニエ君もいいかげん音楽は好きですが、だからといって思いつきのような手作りコンサートのたぐいに行かされても、それで元気が出るなんてことはあるわけがない。本当に優れた音楽からは感銘は受けますが、それで少しでも元気が出て笑顔が戻るなどというのはどういうことなのか、理解に苦しみます。

たぶんそのあたりはみんな直感的には感じていることだろうと思いますが、今はこの手のセリフを使っていれば誰も文句が言えないし、一番安全なんでしょうから、それを乱発することについては社会が馴れ合いで、そこは深追いしないという暗黙の了解があるのです。マロニエ君は日本人のこういう部分が嫌いです。

そもそも自分の宣伝や利益にしか興味がなく、偽善や無責任に何ら抵抗感もないような人に限って、いかにも人の不幸に心を痛め、救いの手を差し伸べたいというようなことを軽々しく言えるのだと思います。

現在のような国難に際して、いささかでも憂慮の念があるのなら、せめて変な便乗はしないで、誠実に自分は自分のなすべき事を進めればいいのだと思います。

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