ほとほと暑い毎日が続きますね。
お盆の初日、お寺に行って、寺内の墓所へまわったところ、その尋常ではない暑さに「衣類乾燥機の中ってこんな感じだろうか…」なんて朦朧としながら思いました。
ずっとそこにいたら、間違いなく救急車に乗るハメになるとも思いました。
聞くところによると、巷では蝉が鳴かない、虫がいない(あるいは少ない)といって、これが大変な話題となっているようですが、本当にそうなんでしょうか?
定期購読している月刊誌のコラムでもその事に触れてあり、関東ではこれがかなりまことしやかに人々の間で囁かれているようです。
例えば車で箱根のターンパイクなどに行くと、例年のこの時期なら、美しい蝶を含むあらゆる虫が走る車に衝突してきて、たちまちガラスやフロント部分などは虫の死骸だらけになるはずなのに、今年は少し様子が違うというようなことが書かれていました。高速道路然りです。
雑誌が書店に並ぶのは、詳しいことは知りませんが、月刊誌の場合、おそらく文章を書いた時点から数週間は経ていると思われますが、その文章によると東京ではやはり蝉の声がしないことを、たいそう深刻な調子で綴られていました。
蝉はもちろん、蚊までもが激減しているというのですが、ホントだろうかと思います。
そういえばひと月ぐらい前だったか、マロニエ君の友人も蝉の声がしないらしいということを尤もらしく言っていましたが、現在は毎日朝から、例年と変わりなく蝉の大合唱でうるさいぐらいだし、我が家の玄関先には蝉の抜け殻があちこちにへばりついているくらいですから、まあそんなに心配することはないのでは?という気もしています。
というか、心配してみたところで、現実にはどうすることもできませんけれど。
いうまでもなく虫の減少に対する心配は、放射能汚染のあらわれだとする説を立証する論拠のひとつになっているもののようで、わかっている人はすでに自衛のための行動を密かに起こし始めているとか。
じっさい、その雑誌によると執筆者の知人はラジオのパーソナリティーをやっていて、自分の番組をもっているにもかかわらず、子供を連れて近く東京を脱出する決心を固めたのだそうです。
これが事実に基づく正しい行動なのか、はたまた情報に踊らされた過剰反応なのか…マロニエ君にはわかりません。
真偽のほどはともかく、過日、関東人のことを書きましたが、どうも関東の人達というのは危機感に対する反応の仕方もずいぶんと大げさというか敏感すぎるようで、やはり日頃の過当競争の習性ゆえだろうかという気もしなくもありません。
我こそは、いちはやく情報をキャッチしてすかさず行動することが自分に利益をもたらし、最終的には我が身を守ることにも繋がるという、競争原理的経験的法則?を体内にもっているのかもしれませんね。
ちなみにその雑誌のコラムにあったのは既婚者の女性で、なんと仕事と夫を東京に残して、4歳の子供とふたりで石垣島に避難するらしいのですが、避難というならなぜダンナさんがそこに含まれていないのかが理解に苦しみますけどね。
少なくとも、マロニエ君だったらこういう考えは御免被りますし、実際にそれほど深刻な状況が事実と仮定しても、夫や係累を見放して、母子ふたり住み慣れない島で生き長らえたところでなんになるのかと思います。