ショパンの椿姫

NHKのBSで、7月はモダンバレエが毎週のように取り上げられ、先週の演目のひとつにはパリ・オペラ座バレエ団の新作で「椿姫」というのが放映されました。
公演自体は2008年の7月でパリ・オペラ座のガルニエ宮で行われたものを収録したものでした。

名前は椿姫でも、音楽はヴェルディではなく、なんと全編にわたってショパンの作品が使われているというのが意外な点で、果たしてどんなものか見てみました。
振付・美術・照明はアメリカ出身の振付家ジョン・ノイマイヤーによるもので、同時に放映された「人魚姫」も彼が手がけたものですが、正直言ってマロニエ君は全く感心できない主題のない作品でした。

ノイマイヤー自身、ダンサーの出身で、男性舞踊家で振付家になるというのは決して珍しいことではなく、アメリカバレエの礎を創ったジョージ・バランシンや、ロシアでもボリショイやマリインスキー劇場のバレエ団の歴代の監督は、大半がダンサー出身であるし、あのルドルフ・ヌレエフもロイヤルバレエやパリ・オペラ座バレエでしきりと振付などをやっていましたから、これは野球選手が監督になり、力士が親方になるようなものかもしれません。

この「椿姫」でのジョン・ノイマイヤーの振付は、あまりコンテンポラリーなものではなく、あくまでもクラシックバレエの動きを基軸に置いているのは見ていてホッとさせるものがありましたが、いかんせん感心できなかったのは、「椿姫」のような陳腐かつ前時代的な題材をいまさら新作バレエに取り上げるという発想と、しかもその音楽をショパンにしたという点でした。

開幕からしばらくは、舞台上の人々があちこちに動き回るばかりで、まったく音楽がありません。
これが何分も続いた後に、舞台下手に置かれたピアノを、これも扮装をした一人がしずかに弾きはじめることで、音楽がようやく始まります。
オペラでいうところのヴィオレッタはすでに病没しており、その肖像画が舞台中央に置かれている設定ですが、それを慈しみ思い出すように開始されるはじめの曲がソナタ第3番の第3楽章の再現部の部分でした。

このバレエはピアノのソロだけで行くのかと思うとそうではなく、ほどなく第2協奏曲がはじまり、それに合わせて舞台上ではさまざまな踊りや劇の進行が速度を増して進行していくのでしたが、まず声を大にして言いたいこのバレエの最大の問題は、バレエとショパンの音楽がまるで噛み合っていないことでした。

ショパンの音楽というものは、手の施しようがないほどそれ自体が圧倒的な主役でしかなく、いかなる場合もバックに使われる類のものではないということがひしひしと伝わり、あくまでも聴くための作品であることがいまさらのように痛感させられました。
映画などで断片的に使ったりする場合には効果的な場合もあるかと思われますが、こうしてバレエ全体の音楽として使われるのはまったく不向きで、ステージと音楽が齟齬を生むばかりで、両者が溶け合い手を握ることはありませんでした。
ショパンのあの気品ある眩しいような音楽が流れ出すと、バレエとは関係なしに耳がそちらに集中することしか出来ず、それに合わせてやっているバレエが、悲しいほどに無意味でなんの必然性もない空虚なものにしか見えませんでした。

第2協奏曲はついに全楽章演奏され、その後もワルツやプレリュード、休憩後には普段演奏会では聴かないオーケストラ付きの作品であるポーランド民謡による幻想曲などがはじまりましたが、ついに見続けるエネルギーが尽きてしまい、最後まで見通すことはできませんでした。

ショパンとバレエで唯一成功しているのは、有名な「レ・シルフィード」だけだと思います。
これには物語性がなく、音楽もすべてバレエに適するよう管弦楽用に編曲され、ゆったりとしたテンポで流れる中を、古典的な白の衣装をつけたダンサー達によって繊細優美に踊られる幻想的なもので、これは稀な成功作だと思われます。

さて、「椿姫」で使われたピアノはフランスでは珍しくスタインウェイのB型でしたが、やはり大劇場で聴くにはやや力不足という印象が否めませんでした。全体的な音はそれなりでしたが、やはり小さなピアノ故か大きな舞台で鳴らすには基礎体力が不足し、響きに底つき感みたいなものが出てしまうのが残念でした。

オペラ座バレエの素晴らしい点は、ロシアバレエとは一線を画する垢抜けた個性を持っている点と、このように常に新作の演目に取り組んでいることでしょう。あの有名な春の祭典のスキャンダラスな初演もマロニエ君の記憶違いでなければこのガルニエ宮だったはずです。それだけにこのような失敗もあるということですが、それよりも新しいものを作り出すというこのバレエ団自体が持つ創造的な活力には敬意を表したいと思います。
フランスの誇る世界屈指のバレエ団であることは異論を待ちません。

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