なでしこジャパンはついに国民栄誉賞のようですが、尊敬する女性の強さと特徴に関して引き続いて感じたこと。
精神的に脆く、意気地のない男に較べると、何事も度胸があり腰の座った女性ですが、しゃべりもパワーが男とは根本的に異なるものを感じたりもします。
例によって個人差のことは考慮せず、あくまで「一般的」な話です。
多くの女性に共通して見られるのは、個人差は別としても独特の話法みたいなものがある点です。
とくに雑談のときにしばしば感じるのですが、女性はどうも一般論とか客観的な論点に立った話の進め方というのがあまりお好きではないようで、その流儀もパワーも大変なものです。
典型的な例をいいますと、例えば、こちらがひとつの話題や出来事を話すとします。
こちらとしては、その話の内容そのものをいわば議題として掘り下げたいわけで、それに関する相手の見解なり分析なりをあれこれ聞きたいという目論見なんですが、なかなかそうはいかないんですね、これが。
女性の場合(繰り返しますが一般的にです)はこちらの話を聞き終わると、それに対する言及ではなく、類似した自分の体験談とか身近に起こった似たような話を持ち出してきて、あっという間にそれをしゃべりはじめます。
そこで、こちらが提示した話とどう関連性があるのかと思って聞いていると、ほとんどそれはなく、気がつくとこちらが専ら聞く立場に交替させられてしまうのはまるで巧みな瞬間芸をみるようです。
要するに人の話から自分が着想を得て、すかさず類似した自分側の話を思いつく限り並べるたてるわけで、人の話から自分の話へと、パッと花瓶の花を差し替えるわけですね。
こっちにしてみれば、しかしそれは似て非なる完全に別個の話で、気がつくとなんだか話の目的が変わってしまっているのです。
しかし、相手のそんな違和感など眼中にもない様子で、話はそこからさらに飛躍していよいよ関係ない話題に発展するのは、テーマの基軸がどんどんズレるというか、脱線に次ぐ脱線ですが話じたいは延々と続く。だいたい女性との会話はこうなる場合が少なくないので、このあたりは諦めるより外にありません。
とはいっても、べつに聞かなくてもいいような、どう考えてもその場には必要とは思えない話をいかにも対等にもってこられるのはやっぱり変な気分で、何度か話を元に戻すような努力をしてみたこともありますが、いやあ、とてもじゃないけどかないません。
だいいち、向こうは話が逸脱しているなんてまるで思っていないわけで、むしろ会話は盛り上がっているぐらいの認識のようです。こういうタイプは話は飛んでも、おしゃべりそのものにはガンと腰が座っていますから、少々の抵抗ではビクともしません。このあたりも絶対に男がかなわない部分。
つまり他者から与えられたテーマに沿って話を進め、そこから逸脱せずに内容を掘り下げていくのではなく、人の話を単なるヒントとして、類似したネタを瞬時に脳内で検索し、自分が話す側となってそれをいくつも並べないと気が済まないんでしょうね。
マロニエ君などは、ひとつの話題に対してさまざまに観察して事の真相や核心に迫るのが楽しいわけで、喩えるなら話の海に深く潜って中の様子を見たり調査したり分析したいわけですが、この話法では水上バイクで水面をぐるぐる豪快に旋回しているに過ぎません。
音楽に喩えると、主題と変奏のようなものですが、すぐに主題を外れて別の曲になってしまうといったところでしょうか。
そういうわけで、こちらも少々のことなら聞いてますが、さすがに見たことも会ったこともないその人の友人知人・親兄弟、さらにそのまた先の人の話をいくら滔々と語られても、そこまで興味が続かなくなるので、そんなときは沈黙で会話が続かないよりマシだぐらいに思って、終わるのを待つのみです。
さらに感じることは、このタイプは、とにかく話は「聞く側」ではなく、あくまで「聞かせる側」「しゃべる側」「話を提供する側」じゃないと楽しくないというのが根底にあるようです。
圧倒的に女性に多いタイプですが、ごく少数、男にもいないこともないんですよね…困ったことに。
しかし昔から言われているように「話し上手は、聞き上手」なのですから、まずは聞き上手になりたいものです。