週末は内輪の練習会に参加しました。
会場へのアクセスがひじょうにわかりにくいところだったために、各々はネットなどを使って参集しましたが、やはり心配した通り、ストレートに来られない人などもいて揃うのに少々時間を要しました。
マロニエ君はこのところろくに練習らしい練習もしておらず、さらには人前でピアノを弾くことに対する苦手意識がまたしても再燃してきていましたので、今回はピアノを弾くつもりはなく、それでも予備的に楽譜だけはちょっとバッグに偲ばせての参加となりました。
この会場の素晴らしさはすでに何度かこのブログに書きましたので敢えて繰り返しませんが、たくさんの絵画に囲まれた会場の雰囲気、さらにその響きと古い名器のピアノが醸し出す絶妙な音色は、心安んずる清澄な空間でした。
そして、空間の響き如何も楽器のうちだとつくづく思いました。
どんなに良いピアノでも、響きの悪い場所におけばその魅力は半減です。
ましてや防音室などにピアノを入れるのは、もちろん現実的な面で致し方のないことで、それを好んでやっている人はいないと思いますが、それでもやはり楽器の魅力を敢えて封じ込めてしまう、響きの面からだけ言えばなんとも残念な現実だと思います。
音響のよい空間では、ちょっとCDなどをかけても、それがべつに大した再生装置やスピーカーでなくても、出てきた音が空間の響きに助けられて、とても素晴らしい音となって聴く者の心を潤してくれますから、ある意味でこれに勝るものはないかもしれません。
この会場にはヴァージナルというチェンバロの一種ともいえる楽器のレプリカもあるのですが、その繊細な音色も、もちろんこの会場の好ましい響きもあって、意外なほど耳に迫る音色を発していたのが印象的でした。
今回ちょっと残念だったのは、このヴァージナルとピアノが同時に別の曲を弾かれてしまったということでした。
いやしくも楽器を弾く人は、楽器の音が汚い騒音になるような心ないことだけは厳に慎みたいものです。
さて、弾かないつもりでいたマロニエ君でしたが、とうとう一曲だけ弾くハメになり、まことにお粗末な演奏を披露することになりました。
そのとき思ったのですが、椅子の高さがやや気になったものの、ちょっと弾くだけのためにおごそかにダイヤルをグルグル回して高さを調整するのも躊躇われ、まあいいや…という気で弾いたのですが、これがとんでもない失敗でした。
普段のマロニエ君の椅子よりは少々高めだったのですが、慣れないピアノである上に、お尻の高さが違うというのは、猛烈な違和感となり、それで気分的にもガタガタに崩れてしまいました。
個人差もあるとは思いますが、やはり椅子の高さというのはマロニエ君にとっては予想以上に大事なことで、ここを疎かにするととんでもないことになるという、いい教訓になりました。
その点でいうと、ピアノクラブのように多人数で代わるがわるピアノを弾く場合は、背もたれ付きのトムソン椅子であるほうが高さも瞬時に変えられるので適しているようです。
昨日はあいにくダイヤルを回すタイプなので、面倒臭くてなかなか調整まではしませんでした。
自宅では生意気にもコンサートベンチを使っていますが、マロニエ君以外にピアノを弾く者はいないので、いつでも自分にちょうど良い高さになっており、それが当たり前のようになっていたこともあり、こういうちょっとしたことが変わるだけでも、冷や汗が出るほど焦ってしまいました。
とりわけ、低すぎるより高すぎるほうが個人的にダメだということを肝に銘じたしだいです。
こんなことがあると、ますます人前で弾くのが恐くなるばかりですが、そこは自分の性格もあるでしょうから、こればっかりは変えようもないので仕方がありません。