あんぷ

自分のクセとか気質は容易なことでは訣別できるものではありませんね。

札つきの練習嫌いだったマロニエ君は、このところまたしてもその過去の悪癖が覆いようもなく顔を出して、練習なんててんでまっぴらゴメンだという気分に陥っています。
その理由は様々ですが、そのひとつに、どうも暗譜力が衰えたということもあるようです。
もともと読譜力も弱いし、暗譜も得意ではなかったマロニエ君ではありますが、それでもむかしは何度か弾いているとある程度自然に覚えていたものが、だんだん難しくなってくることを痛感しています。

歳を取るのはイヤなもんだと思うのはこういうときですね。
むかしはそれなりに暗譜できていたこともあって、しばらくすると楽譜を見ないで練習することが多かったのですが、最近はなんとか弾けるようになったと思った曲でも、楽譜がないとパタッと止まってしまいます。
こういうときに気分は一気に落ち込んで、練習そのものまでイヤになります。

続けるには、仕方なく楽譜を見て弾くことになるわけですが、暗譜していくテンポのトロさが自分で気になりだして、それがまたやる気を失うわけです。とくにイヤになるのは同じ箇所がいつまでも覚えられない。
こんな調子では自分なりの効率的な練習などできない、人にはできることが自分にはできないと思ってしまい、それでまた練習がますますイヤになる一因となってしまうのです。
暗譜ができにくくなってくると、腹立ちまぎれに、暗譜の方法が間違っているんじゃないか?そもそも暗譜って音と指の運動で覚えるものか、はたまた楽譜そのものを写真で撮ったように記憶することなのだろうかなどと、いまさらそんなことを考えはじめてしまいます。

よく優秀なピアニストの中には、楽譜だけを読んで、それだけで暗譜が出来てしまい、ピアノの前に座ったときにはある程度弾けるなんて人があるものですが、そんなこと、マロニエ君から見たら宇宙人としか思えません(笑)。
やはり音符は実際の音と自分の指の動きをつき合わせながらでないと、到底できることではありませんし、しかも大いに苦労している次第。

それでも、懲りもせず新しい曲を弾いてみたいという意欲ばかりは多少なりとも持っているのはせめてもの救いかもしれませんが、それらはいずれも人前で弾くなんてことはまったく念頭にはなく、すべて自分一人の楽しみのためでしかありません。
でも、これが楽しくなければ本当のピアノ好きとはいえないような気がするのですがどうでしょう。

人前で弾く、何かの折に発表するといったことが練習の目的になるというのを頭から否定するつもりはありませんが、それがないと練習もしないというのではピアノを弾く動機が不純すぎると言いたいのです。基本的にはあくまでその曲と自分が交信しているその瞬間こそがピアノを弾く喜びの中核でありたいものです。

例えばマロニエ君はろくに弾けないくせにコンチェルトなどもしばしば弾いてみます。
いくらかやってみて、よしんば上達しても、それを人前で弾くとか、ましてやオーケストラと共演なんて天地がひっくり返ってもないことですが、ただそれでじゅうぶん楽しいわけです。

オーケストラの序奏部を長々と弾いた末にやって来る、ソロの出だしなどは、ちょっとたまらないものがありますが、こんなこともひとり遊びだからこそできることでしょう。

今更ですが、有効な初見の上達法、暗譜の上達法などはあれば挑戦してみたいものですが、ま、無理でしょうね。

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