最近、ヴァイオリンの名器にまつわる一冊の本を読了しました。
著者はヴァイオリンの製作者にして調整や修理なども行うヴァイオリンドクターでもあり、さらには鑑定や売買の仲介などもやっておられる方でした。
長年こういう仕事をやっている人ならではのおもしろい話がてんこ盛りで、世界中の有名演奏家やオーケストラの多くからもその方の技術には多くの期待と信頼が集まっているようでした。
出てくる名前だけでもびっくりするようなアーティストが続々と登場し、ピアノの調律と同様、このような高等技術の分野における日本人の優秀さは今や世界的なものであることが痛感されます。
本そのものは内容も面白く、平易な文体で、まさに興味深く一気に読んでしまいましたが、読了後の気分というのはなんとはなしに快いものではありませんでした。
それはヴァイオリンという楽器が持つ一種の暗い、得体の知れない、ダーティな部分にも触れたからだろうと思います。
とりわけクレモナのオールドヴァイオリンの世界は、骨董品の世界と同様で、どこか眉唾もののヤクザなフィールがつきまとうのです。
その途方もない価格と、怪しげな価値。
真贋の境目がきわめて不明瞭で、世にも美しいヴァイオリンの音色は、常にその怪しい世界と薄紙一枚のところに存在しているという現実がよくわかりました。
鑑定などといっても絶対的なものはほとんどなく、大半が欧米の有名な楽器商が発行したものや鑑定家の主観の域を出ないこともあり、状況証拠的で、狂乱的な価格を投じても真贋が後に覆ることもあるとかで、とてもじゃありあませんが堅気の人間が足を踏み入れるような世界ではないというのが率直な印象です。
この本を読んでいると、次第にこの世界すべてのものに不信感を抱くようになる自分が読み進むほどに形成されつつあることに気付きはじめました。
要するになにも信頼できるものは定かには存在せず、こういうヴァイオリンに関わる人すべてに不信の目を向けたくなってきます。もちろん演奏家も含めて。
ヴァイオリンには悪魔が宿るというような喩えがありますが、まさにその通りだと思いました。
そもそも300年以上経っても現役最高峰の楽器として第一線にあるという生命力ひとつとっても、なにやら魔性の仕業のようだし、あの正気の沙汰とは思えぬ億単位の価格なども、げに恐ろしい世界であることは容易に嗅ぎ取れるというものでしょう。
むかし車の世界にも「ニコイチ」というのがあって、例えばポルシェやフェラーリの事故廃車の同型を二台切ってつなぎ合わせて一台の中古車を作り上げるという詐欺まがいの行為が横行した時期がありました。もちろん大変な作業ですが、それだけの手間とコストをかけても、高値で売れて儲かるからこういう悪行が発生するわけです。
これと似たような発想で驚いたのが、なんと1挺のストラドを解体して3挺のストラドを作り上げるなどという、まるで映画さながらのことがおこなわれていたらしく、それも過去の話だと言い切れるでしょうか。
一部でも本物のパーツが存在すれば本物として通用するという発想で、それぞれ他のオールドヴァイオリンと精巧に合体させて一流の技術をもって作り上げれば、3挺のストラドが存在することになり、儲けも3倍というわけでしょう。
さらには歴史に残るヴァイオリン製作の過去の名匠達は、精巧無比なストラドやグァルネリのコピーを作っているのだそうで、それが後年真作として売買されるケースがあるとか。しかも困ったことに、これらがまた本物に勝るとも劣らぬ申し分のない音を奏でるのだそうで、その真贋騒ぎはますます混迷の度を深めるようです。
ここまで来るとコピーといえども相当の価格が付くのだそうで、いやはや大変な世界です。
最近ではデンドロクロノジー(年輪年代法)というハイテク技術を用いることで、使われた木の伐採年代などを調べられるようになり、それによって300年前の製作者が使っていた木の膨大なデータと照合するのだそうです。
科学技術の力でこの世界の闇のいくぶんかは光りを得たといえるのかもしれませんが、まさに指紋照合みたいなもので、美しい音楽の世界というよりは、専ら警察の犯罪捜査に近いものを感じてしまいます。