ピアノは気楽

もし自分が天才的な才能に恵まれて、世界中を駆け回るほどの演奏家になれるとしたら、ピアニストとヴァイオリニストのどちらがいいかと思うことがあります。世界的な奏者になるということはヴァイオリンの場合、当然それに相応しい楽器を必要とする状況が生まれてくることを意味するでしょう。

しかし、オールドヴァイオリンにまつわる本を読めば読むほどそういう世界とかかわるのは御免被りたいというのが正直なところです。
そしてピアノは、ともかくも楽器の面では遙かに健全な世界だと思わずにはいられません。

いまさら言うまでもなく、ピアニストは世界中どこに行っても会場にあるピアノを弾くのが基本ですから、そこに派生する悩みは尽きないわけで、リハーサルなどは寸暇を惜しんで出会ったばかりのピアノに慣れることに全神経を集中するといいます。
ピアノに対していろんな希望や不満があっても、技術者の問題、管理者の理解、時間の制約などが立ちはだかって、ほとんどは諦めムードとなり、残された道はいかにその日与えられたピアノで最良の演奏をするかということになるようです。

あてがいぶちのピアノに対する不安や心配、愛着ある楽器で本番を迎えられない宿命、こういうときにピアニストは、どこへ行こうとも自分の弾き慣れた楽器で演奏できる器楽奏者が心から羨ましくなるといいます。

しかし、何事も一長一短というがごとく、ヴァイオリンの場合、手に入れようにもほとんど不可能と思われるような巨費が立ちはだかります。あるいは大富豪やどこかの財団のようなところから貸与の機会を得るなどして、めでたく名器を弾ける幸運に恵まれたにしても、さてそれを自分自身で持ち歩かねばならず、さまざまな重い責任が生じ、そんな何億円もする腫れのものみたいな荷物を抱えて世界を旅をして回るなんぞまっぴらごめん。
ましてやそれが借り物だなんて、マロニエ君なら考えただけで気が滅入ってしまいます。

実際にあるヴァイオリニストが2挺のオールドヴァイオリンを持って楽屋入りし、1挺を使って演奏中、使われなかったほうの1挺が盗まれたというようなことも起こっているそうです。
しかもそのヴァイオリンが再び世に姿をあらわしたのは、奏者の死後のことだったとか。

貴重品扱いでホテルのフロントなどが預ってくれるかどうかは知りませんが、いずれにしろ四六時中気の休まることがないはずで、とてもじゃありませんがマロニエ君のような神経の持ち主につとまる行動ではありません。
ちょっと食事をする、人と会う、買い物をする、ときには音楽から離れてどこかに遊びに行くこともあるでしょう。
そんなすべての時間でヴァイオリンの安全が頭から離れることはないとしたら、これは正に自分がヴァイオリンの奴隷も同然のような気がします。
しかも相手は軽くて小さな楽器で、簡単に盗めるし、足のひと踏みでぐしゃりと潰れ、マッチ一本でたちまち炭になってしまうようなか弱いものです。楽器の健康管理にも気を遣い、定期的に高額なメンテに出さなくてはいけない、そんなデリケートの塊みたいなものと一緒に過ごすのですから、弾けばたしかに代え難い喜びもあるでしょうが、それ以上に鬱々となりそうです。

こういうことに思いを巡らすと、その点ピアノは、なんとまあ気楽なものか。
多少のガマンもあるにせよ、持って歩く楽器特有の管理などという煩わしさは一切なく、身の回りの物以外は手ぶらで会場に行って、演奏をして、また体ひとつで身軽に帰っていけばいいわけです。
ああ、なんという幸せでしょうか!
これだけでもピアノを選びます。

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