双方の意思

趣味の集まりというのは楽しいけれども、玄関のドアの開閉には気をつけないと、ひじょうに複雑かつ微妙な人間関係が枝を伸ばしてくることは避けられない問題のようです。
あまり原則的なことをくだくだしく言っても始まりませんが、要するに人には理屈じゃない相性とか好き嫌いがあり、本当のことを言えば人品骨柄もいろいろだとは思います。

よろず趣味のクラブというのはどれも基本は遊びです。
生きるための手段である勤労の場においては、身を粉にして、我慢して、あまたのストレスにどっぷり浸かりながら、息も絶え絶えに頑張らなくちゃいけませんが、趣味までその延長線上におかれるのではなんのための楽しみだかわかりません。

だからこそ、せめて趣味や道楽の場にあっては、その点の慎重さは何より大切だと思われます。
世の中の、大半の趣味のクラブやサークルがそうだと思われますが、新メンバーの入会に際しては、事実上、入会する側の一方的な意志による場合が多く、クラブ側が入会者を選ぶということはめったにありません。
マロニエ君はこれが根本的な間違いだと最近強く思います。

クラブというものの発祥は英国とも聞いたような覚えがありますが、そもそも英国が貴族社会であったこともあるでしょうが、そこに根付いたあれこれのクラブは誰でも希望すれば入会できるというものではなかったようです。
紹介者を必要とし、様々な審査があり、充分な期間を経た上でようやく会員と認められます。
その判断については、要するに自分達の仲間としてやっていける相手であるという点が認められなくてはなりません。

何ゆえ誰でもどうぞではダメかといえば、それはクラブの「楽しさの質」を維持するためだと思われます。
「たかだか趣味」と言いますが、趣味こそは人間の心の滋養の場ですから、人との交流・友誼こそは最優先事項であって、そこへ空気を乱すような人物があらわれると、たちまちその雰囲気は崩れてしまいます。
すぐに目に見えて結果が出ないにしても、のちのちこれが元となり均衡や調和が損なわれるのは必然です。とくに現在のようなネット社会ではどんな人物が現れるか、その点は全く未知数です。

現代は、やれ個人情報だセキュリティーだと表向きはわかったようなことを言いますが、このようなクラブの入会に関しては事実上まったくの野放し状態で、ここに一種のチェックが機能しなくては、既に会員であるメンバーの居心地や楽しみまでもが侵害されることになると思います。

もちろんせっかくの入会希望者をむげに断ることはできないし、人のご縁というものは大切に取り扱わなくてはいけませんが、あまりにイージーな入会の許諾はしないほうが賢明です。いったん入会してしまうと、特段の事情や落ち度でもない限り、そう易々とは退会させるわけにはいかなくなりますし。
なんらかのお試し期間的なものが存在し、入会者がクラブを選ぶように、クラブも入会者を選ぶ、これが本来当然の姿ではないかと思います。
結婚と同じで、これは「双方の意志」によるものでなければならないでしょう。

時代が違うのですから、「来る者は拒まず」「お好きな方はどなたでも」などと寛容ぶって禅坊主のようなことを言っていたら、厳しい現実の前にとんだしっぺ返しをくらうことにもなりかねません。
人の集団というのは、なんらかの異物や邪心の持ち主を抱え込むと、とりかえしのつかないことになるのです。
そういう意味では、リーダーは昔以上にリーダーたる者の目配りの利く才覚が求められていると思います。

たとえ遊びでも、人を相手にするということは難しいものだと思います。

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