はやいもので、「プレイエルによるショパン・ピアノ独奏曲全曲集」全12巻のうちの第2期の4、5、6が発売されています。演奏は横山幸雄。
今回は第4巻が3つのエコセーズなどワルシャワ時代の遺作の小品からはじまり、第5巻ではパリ時代の初期の作品が登場しはじめて、op.27の二つのノクターンやバラード第1番なども含まれ、いよいよ円熟の時期を迎えるようです。そして第6巻ではパリの初期のマズルカから入って作品25のエチュードに至ります。
録音データを見ていると、ほぼ毎月にわたって月の中頃に石橋メモリアルホールにて毎2日間、同一のスタッフにより収録されているようですが、横山氏の演奏はどれをとっても安心感のある余裕に満ちたもので、危なげなく淡々と弾き進んでいくのは、好みは別としても大した力量だと思います。
解釈もいかにも中庸を得た薄味なもので、とくに突出しているものはありません。
まさにショパンの、音による作品事典のようで、これだけ一定のクオリティを維持するというのは、聴けばなんということもないようですが、実際には並大抵ではない力を必要とすると思います。
ただ、ときどき横山氏のピアノの語り口に小さな変化が起こるのは、エチュードなどの難易度の高い超有名曲になると気が入ってしまうのか、ことさら技巧に走りすぎてしまうところがあるのが残念な点だと思います。
ちょっとした小品や、普段あまり弾かれる機会の少ない曲などに、隅々まで神経の行き届いた確かな演奏をするわりには、有名曲の技巧的な部分で、ぎゃくにレコーディングには似つかわしくない粗っぽい部分を感じることが何度かありました。
しかし全体としては、全集の名にふさわしい内容を伴ったシリーズだといえると思います。
欲をいえば、もう少し味わいというか、ショパンが我々の耳にじかに語りかけてくるような面があると素晴らしいと思いますが、それは望みすぎというものでしょうか。
現状ではどちらかというと、いかにもテクニシャンによる模範演奏的で、デジカメ写真のような、解像度は高いけれどもクールな感触である点が、マロニエ君などにはもうひとつもの足りない気がするのです。
プレイエルのピアノについては、100年も前のデリケートな楽器を常に整ったコンディションで維持するのも大変だろうと思いますが、それもほぼ達成されているように思われ、技術者のご苦労は大変なものだろうと推察されます。
強いて言うなら、第6巻ではちょっとピアノの御機嫌があまりよろしくないような印象を受けました。
それから以前も書きましたが、やはりプレイエルのような楽器をあまり精密に、完璧指向に追い込んだような調整をするのは正しいことなのか…という疑問があり、それはこのシリーズを聴きながら常に感じさせられる点です。
多少バランスを欠いたとしても、生来の個性を生かした音造りのほうがこのパリ生まれのピアノも本領を発揮すると思うのです。
思わずンー!とため息が出たのは、ある関東のピアノ店で、プレイエルの小型グランドが販売されていて、ネット上にそのデモ演奏がアップされているのですが、そこに聴くのは、あのコルトーの古いレコードそのままの、やわらかで華やかなのに憂いのある音、ショパン以外の音楽を弾いたらどうなるのかわからないような、甘く悲しげな、あのイメージの通りのプレイエルのちょっと崩れかけた美音がそこにありました。
もちろんどちらがマルで、どちらがバツだと決めつけることはできませんが、少なくともマロニエ君のセンスでいうなら、このようないかにも危うい感じの、なにかギリギリの場所に立っているような、そんなプレイエルの音に強く惹かれるのです。