駅アレルギー

週末は知人と遠方へ出かけることになり、久しぶりに山陽新幹線(博多以北は山陽新幹線)に乗りました。
今年の春、九州新幹線に乗ったときは、その乗り味があまりよくなかったことを当時のブログに書いた覚えがあります。車内は安っぽい振動と騒音に浸されて、まるでスピードの速いちょっと高性能な電車という趣で、降りたときはホッとしたことをまだ覚えています。

ところが今回乗った山陽新幹線(のぞみ)は車輌が何系なんてことは知りませんが、一転してずいぶん快適で、マロニエ君が以前からイメージしているあの新幹線のフィールでした。すべるように疾走して、なんだか別世界へ駆け抜けて行くような感触は、ふたたび新幹線へのイメージを取り戻した感があります。
この点で本当に素晴らしいと記憶しているのは、むかしの、つまり初期の0系とかいう新幹線から少し発展したタイプだったように思います。まるで油の上を流れるようで、しかも乗り味には懐の深さがあって、当時の技術の粋を集めた最高級の乗り物に乗っているという満足がありました。

今回は帰りも同じくのぞみでしたが、やはりすこぶる快適で疲れもなく、こういう乗り味が現在も残っていること自体に嬉しいような安心したような気分でした。
それというのも、最近はなんでも合理化だのコストダウンだので物の質が低下する一方なので、本当に残念に思っているところです。飛行機も然りで、マロニエ君の乗ったすべての旅客機の中で最高の乗り味を示したのがボーイング747-400で、頼もしく安定性抜群、やわらかで、騒音も音量も抑えられ、高周波の音も少なく、申し分のない機体でした。
これで何度東京往復したかしれませんが、その後最新鋭の777が登場したときには乗り味の質があきらかに低下したのにはひどくがっかりしたものです。わけても日本航空は747-400の世界最大級の保有数を誇るエアラインであったにもかかわらず、経営が事実上破綻し、その合理化の波をまっ先に受けて、すでに全機が売却されてしまったのは言葉もありません。

新幹線に戻りますが、博多駅を基点に北に向かうのと南に向かうのとでは、なぜこれほど快適感が違うのかというのが疑問です。まさかレールの品質なんてことはないでしょうから、やっぱり使用される車輌の問題だろうと考えないわけにはいきませんが、とにかくのぞみの乗り心地にはいたく満足でした。

それはそうと、マロニエ君は昔から駅というのが苦手で、とくに人の波がうねっているような大きな駅は列車の乗り降りで利用するだけでも圧迫感があって気が滅入ってしまいます。
むかしカラヤンが「自分は駅こそ嫌悪する場所だ。なぜなら人の悪意を感じる場所だから。」と発言している文章を読んで、大いに膝を打ったことがありました。
人の悪意というのは極端としても、少なくとも生きて行くことの厳しさ、他人の冷淡さをことさら感じる場所のひとつが駅であるという印象をマロニエ君は昔から持っています。

夜、博多に戻ってきたときに、ついでに食事をしましょうということになり、それは大いに賛同したのですが、新しくできた駅ターミナルの上にあるレストラン街はどうかと言われたときは、さすがに申し訳ないと思ったのですが、できれば駅以外のところがいいと希望して、車でまったく別の場所に移動しました。

わがままを言って申し訳ないとは思いましたが、あれで駅の人並みをかきわけかきわけレストラン街まで到達し、そこでまた行列(これが多い!)などさせられようものなら、ぐでんぐでんに疲れただろうと思いますので、だったらうどんでもハンバーガーでも何でもいいから別のところに行きたいわけです。
マロニエ君の場合困るのは、苦手なものは冗談ではすまされないほど徹底して苦手で、こういうことで本当に体調まで悪くなるという深刻な体質を持っていることで、さすがに自分でも情けない。

とりわけ駅というのが精神的に合わないらしく、空港のほうがよほどまだ許せます。
こういうことを書くと、じゃあ空気のきれいな田舎が好きですか?などと言われそうですが、さにあらずで、田舎や田舎暮らしなどこれがまた超苦手で、ようするに街中に暮らして車でばかり移動するようなパターンでしか生息できないみたいです。とほほ。

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