もうかなり前になりますが、NHKのクラシック倶楽部で、ある一人の日本人女性のピアノリサイタルの様子が放映されましたが、その人の演奏というのがマロニエ君はいたく気に入りました。
どちらかというと小柄な女性で、関西の出身で現在はパリに住んでいるという話でした。
曲目はシューベルトの最後の3つのソナタからハ短調D958、ラフマニノフの第2ソナタなど。
語り口がデリケートで、楽節の繋ぎや絡みがとても自然で歌があり、それでいて押さえるべきところはしっかり押さえるという、まことに筋の通ったもの。エレガントでメリハリのある演奏でした。
とくに気に入ったのが解釈が真っ直ぐで深みがあり、溌剌とした歯切れの良いリズム感、歌心があるのにそれをやりすぎないバランス感覚、さらには曲全体が美しい曲線のようになめらかに流れていくところなどでした。
マロニエ君は気に入ったものはDVDにコピーして保存するようにしていますが、この人の演奏はもちろんそれをしているものの、レコーダー本体から消去するのもしのびず、ときどき気が向いたときに何度も聴いているほどです。
一見パッと目立つタイプではなく、演奏もいかにもどうだという感じではなく、こういう本物の音楽作りを目指して静かに活動している人というのは、世の中にはいてもなかなかお目に掛かれるチャンスは少ないものです。
どうしても表に出てくる人というのは、違った意味での勝者である場合が大半です。
さて、その人はYouTubeを探すと、数は多くはありませんがいくつかコンサートの様子がアップされており、その演奏もやはり大変すばらしいもので、ここでもまた小さな感銘を受けることになります。
で、さらに、ホームページはないのだろうかと思って探したら、すぐに見つかりました。
そうしたら、現在はやはりパリ在住ですが、主にサックスの奏者と組んでコンサートをおこなっているようでした。
それはそれでひとつのカタチなのでしょうけれども、もうすこしソロを弾いて欲しいし、あれだけの演奏ができる人が惜しいような気がしたのも偽らざるところでした。
ここの情報を見ていると、日本で初のCDを録音してすでに発売されていることがわかりましたが、普通の店頭に置いているとも思えないので、そのCDを管理している関西のアーティスト協会を通じて購入することになり、代金を振り込むと数日後に届きました。
期待に胸躍らせてプレーヤーにCDを押し込んだところ、出てきた演奏はのっけからちょっと何かが違う感じでした。
冒頭はクープランの小品、続くモーツァルトのソナタも、ショパンもドビュッシーも、概ね同じ調子でした。
栗東のファツィオリのあるホールで3日間かけてのセッションだったようですが、彼女の良さがほとんどなにも出ていない固い演奏だったのはほんとうにがっかりしました。
レコーディングではキズのない完璧な演奏を目指して何度も取り直しなどがおこなわれるのですが、それに留意するあまりなのか、理由はともあれ、あきらかに演奏が死んでいました。
とりわけこの人の魅力だった流れやしなやかさがなくなり、ただ硬直した凡庸な演奏だったのはまったく驚きで、幼い言い方をするなら裏切られたようでした。
データを見ると、上記のサックス奏者がアートディレクターを努めており、なにがどうなっているのやら、いよいよ不可解な気分に陥ってしまいました。
単純に日本語でいうと芸術監督でしょうから、すくなくともピアニストの持っている力を十二分に発揮させるよう誘導すべきところ、まるで別人のように平凡な演奏に終始してしまっているのには、一体なにをやっているんだかと思いました。
ピアニストも初録音ということで緊張したのかもしれませんが、いずれにしても本来その人が持っている力、とくに魅力を損なうことなくセッション録音をおこなうということは、たいそう難しいものだということだけはわかったような気がします。