主役は機械

連休中、家人が食事の支度ができず外食することになりましたが、思いつく店はどこも気が進まず、けっきょくはやりの回転寿司店に行きました。

何事でも、マロニエ君は行列とか順番待ちみたいなことが苦手なことは折に触れ書いてきた通りで、それを避けるため夜の8時過ぎに家を出てお店へ向かいましたが、それでも連休ということもあってか、まだ順番待ち状態なのには驚きました。さてどうしたものかと思いましたが、他に行くアテもないので今回は腹を括って待つことになりました。

この店には入口脇に順番待ちのための広いエリアがあり、そこの長イスには子供連れなどがズラリと並んでいます。
そこで目についたのは、いまさら珍しい光景ではないものの、実に多くの人が携帯(とくにスマートフォンが目立つ)とのにらめっこ状態で、普通に話などをしている人は全体からすれば少ないようで、生きた人間よりも携帯の方が親しい間柄のように見えました。
あとからやって来る人も同様で、親子連れやカップルですが、腰を下ろすとサアとばかりに携帯を取り出し、それぞれが黙してなにやらせっせと画面操作などをやっています。

携帯電話→メール→スマートフォンと進歩するにつれ、人と人とのまともな会話とか人同士の生な関係というのは確実に少なくなってしまったという事実をまさに眺めるようでした。
いまや自転車をこぎながらでもメールをやりとりする時代ですから、家にいるときも、その他の時間もおおよそ似たような状況だろうと思われます。

マロニエ君の目には、あの携帯端末を操作しているときの人の姿というのは、まったく美しくない姿として映ってしまいます。同じ人でも、そんなものは手にせず、まわりの人達と普通におしゃべりしているときのほうが、どれだけ眺めがいいだろうかと思います。

しばらくして、まるで銀行か郵便局同様に順番がきたことを番号でアナウンスされ、その折に伝票とおしぼりをセットでパッと手渡されて、向かうべきテーブルの番号と方角が伝えられます。そこへ座ってあとはひたすら注文画面との格闘になりますから、以降食べ終わるまで、店員との接触さえ断ち切られることになります。
注文するのも項目別に分類された画面をあれこれと繰り出しては、種類、数、確定まですべて指操作によって成し遂げなくてはならず、これがまた、手が上げっぱなしになって肩から腕がひきつって、ピアノを弾くよりよほど疲れます。

お茶や醤油などの準備がセルフなのはもちろんのこと、リニアモーターカーのおもちゃみたいな機械が自動的に注文品を運んでくるので、それっとばかりにお皿を下ろして、忘れないように車輌を送り返すボタンを押して…と集中力をもって一連の動作をせっせとやっていると、なにやら食べることまで「食べる作業」のような感じになるんですね。

ここですべての中心になっているものは何をおいても「システム」であって、そのシステムに対応できない人は回転寿司さえうかうか食べられない忙しさです。
入店時の順番待ち登録も、そこに置かれた機械の画面を操作して人数やテーブル/カウンターなどの区別も含めて自分で入力し、ぺろっと出てくる番号の紙を持って呼び出しを待たなくてはなりませんから、こういうことに馴れないことには、ただ平穏に食事をすることさえ困難だろうと思われます。

そう思ってみると、高齢者のお客さんというのはやはり少ないし、見かけても家族とおぼしき若い人と一緒で、高齢者の方だけでこういう店に来るというのはかなり厳しいだろうと推察しました。
こんなところにも、さりげなく社会の弱者が切り捨てられているという現実を見たようです。
しかし、値段は安いし、たしかに文句はいえないのですが。

人の手作業になるのは唯一会計の時だけで、ここまでやるならいっそ駐車場のゲートみたいなものを置いて、機械にお金を投入するようにしたら、よほどせいせいするんじゃないかと思いました。

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