続エアコン依存症

エアコン依存症のくるま編。

人の車に乗せてもらうのはありがたいことなんですが、マロニエ君の場合、自分の車でないときは、車内環境に関して、ちと心配があるというのが正直なところ。
とくに感じるのはエアコンの調整が自分とは違うと感じることが多々あり、しかも、まさかこちらが手を出すわけにもいきません。

マロニエ君はエアコンは文字通りエア・コンディショニングとして使いたいし、そこには一時しのぎではない快適な状態を「持続させる」という意味合いもあると自分なりに思っています。

でも、多くの場合、人の車に乗せてもらって感じるのは暑いか寒いかのどちらかで、あとは思いついたように温度を上げたり下げたりする場合が多く、適温を維持するという認識が意外に少なく感じるのは不思議です。
家のエアコンでそうする癖がついているのか、エアコンを必要最小限に絞っている人が少なくないし、かろうじて汗が出ないギリギリぐらいにしている人がいますが、なんで?と思ってしまいます。

特に車は、それで電気代がかかるわけじゃなし、だいいち車内は狭くて揺れ動く環境だから、人が存在する空間としては心地よさへの配慮が普通以上に求められる空間と思うわけです。マロニエ君の個人的な感覚からすると、普通より、より静かで涼しくすることで乗員を清新な気分に保つことが大切で、例えば涼しいより暑苦しいほうが車酔いなども誘発しやすくなるし、疲れもたまりやすいと考えられます。

ところが、結構ネチョッと汗が出そうなぐらいの温度設定にしている人って多いんですね。
マロニエ君にしてみれば、「よくこんな温度でなんともないもんだ…」と感じてしまいます。

それどころか、ちょっと涼しくなると窓を開けて走ったりする人がいますが、マロニエ君にすればこんなのは言語道断。だいいち窓を開けて走るなど車内もほこりで薄汚れるし、自分なら絶対にしませんが、路上でも前後左右の窓全開で走っている車をときどき見かけて呆れてしまいます。

どこへでも極力自分の車で行くのが好きなのは、ひとつにはこのエアコンその他の点で自分の自由が利くからというのがあります。さらには人を乗せておいてラジオや音楽のボリュームを落とさないでぜんぜんへっちゃらな人がいますが、あれなんてどういう心境なのかと思います。

マロニエ君ならそれがどんなに素晴らしい音楽でも、好きな曲でも、人を乗せているときは、その人との会話がメインなわけで、音楽は消すか、ごくごく小さくして会話の妨げにならないようにしますし、そもそも車の中のような狭い空間では、音も苦痛と不快の原因となるので控えるのが心配りだと思うんですけどね。

よく電話中でも、来客中でも、食事中でも、テレビは漫然とつけっぱなしという人がいますが、おそらくあの感覚なんでしょう。

エアコンに関してだけでなく、何事も日本人はチビチビと節約モードでやるのがしょせんは好きな民族なんだろうと思います。海外に行くと、例えばご近所で日本の影響が大きい言われる台湾などでも驚かされるのは、そのなんとも豪快な冷房の入れ方で、どこに入っても建物内は胸がすくほどビシッと冷えています。
当然ながらタクシーなども同様で、いささかもケチケチせず冷房ガンガンなのは、それだけで元気が出るようです。
そういえば日本も昔はこうだったなぁと、何事も元気だった昔がなつかしいほど、今はなにかにつけてガマンの時代のようです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です