たまにNHKのBSで昔の日本映画なんかをやっていて、それが思いがけなく視界に入ることがありますが、昔の名優というのは、やはりなかなか観賞に値する美しく立派なルックスをもっていたものだと思います。
そして、現代のこの業界には、いかに多くの二世三世が先代の名声を足がかりにして、それだけのものも持ち合わせないまま不適合に生きているかと思わずにはいられません。
俳優の世界も、演技という技巧の分野でいうならある種の芸の継承というのもなくはないだろうと思いますが、美人や二枚目ともなると、いかにその二世だなどと言ってみても、その面立ちに似たところはあるとはいえ、しょせんは別物なのであって、到底その親になんぞかないっこありません。
兄弟姉妹でもそうですが、顔かたちなんか似ているとはいってもちょっとした目鼻の配置ひとつで美醜様々に分かれてしまいます。
大スターだったその親たちは、自分がたまたま天から授かったフェイスや雰囲気を元手に世間に認められたわけで、それがそのまま子供に受け継がれるはずはないのであって、だから今の芸能人や俳優の美貌は、昔に較べるとずっとレベルダウンしていると思います。
さらにスター俳優になるには、目鼻立ちの美しさだけではダメで、最も大切なスター性を備えていなくては芯にはなれません。ちなみに芯とは中心のことで、つまり「主役をはれる存在」という意味です。
いま、現役でそれなりに活躍している二世俳優のお父さんお母さんの現役時代を見ると、その子供らとは次元の違う輝きをもっているのが大半ですし、現役の二世世代の連中で、親の存在なしに単独で同じ地位を獲得できた人が果たして何人いるかといえば、実際はおそらく惨憺たる結果になるはずです。
その点では、むかしの方が芸能界もよほど正当な実力主義で、真に力のある者がなるべくしてスターになっていたと思われますし、それだけに大物が多かったのだろうとも思います。そういう意味では、今のほうがよほどどこぞの国よろしく人脈やコネが横行する業界という気がしなくもありません。
よほど桁違いの秀でたルックスでももっていれば別でしょうけど、大半は多くの芸能人の二世連中がその票田を引き継いでいるがごとくなのはかなり違和感を覚えるところです。政治家の世襲問題が折に触れ取り沙汰されますが、むろんそれに異論はありませんが、マロニエ君にいわせると芸能界の世襲というのも、なんとも気分のしらける夢なき格下の世界に落ちぶれたようで、とても納得はできません。
数にもよりけりですが、今はあまりにも数が多すぎで、よくもまあ懲りもせずに、誰も彼もが自分の子供を同業者(しかも親より必ず格落ちの)にしたがるもんだと思って呆れてしまいます。
その点では梨園(歌舞伎界)は世襲が前提ですから、顔の美醜にかかわらず、男子は親の名跡を受け継ぐわけですから、その点では特殊社会といえばそうなんですが、そんな場所でもときどき奇蹟がおこるらしく、たまには板東玉三郎のようなスーパー級の美形があらわれたりするのは不思議です。
そして、その奇行のほどは別としても、市川海老蔵のような立役の美形がこの現代に出現したことは、団十郎を思い起こせばこれまた奇蹟というわけで、数十年に一度はこういう異変が起こるのでしょうか。
こうしてみると世襲が難しいのは音楽の世界で、パッと見渡しても、親子二代で大物が続いた例は、エーリッヒとカルロスのクライバーぐらいしか思いつきませんし、ピアノではせいぜいルドルフとピーターのゼルキン親子ぐらいでしょうか。
名演奏家の子供というだけで、力もない音楽家が現れるのじゃたまりませんから、そう思うと音楽の世界はまだ実力が問われるという点でマシなほうかという気もします。