ナポリ出身のピアニスト、マリアンジェラ・ヴァカテッロによるリストの超絶技巧練習曲のCDを聴きましたが、残念なるかな、とくにこれといった印象を受けるものではありませんでした。
若い女性のピアニストで、指はよく動きますが、この難曲集を弾いて人に聴かせるにじゅぶんな分厚い表現性とか力量みたいなものには乏しいというのが率直なところでした。曲そのものがもつスケール感や壮麗さが明確にできておらず、ただ技術的にこの作品を勉強してレパートリーになったという感じが拭えません。
本来この12曲はリストの中では無駄が無く表情が多彩、非常に充実した緊張感の高い作品群だと思いますが、悲しいかなどれも演奏が痩せていて、本来の量感に達していないと思いました。
もうひとつ興味深かったことは、このCDは昨年イタリアで収録されていますが、ピアノはヤマハのCFIIISが使用されています。
まあ、音もそれなりで目立った欠点というのはないものの、このCFIIISまでのヤマハは響きのスケール感という点においては、楽器としての器の限界がわかりやすいイメージでした。
いま、フランスをはじめとするヨーロッパではヤマハが多く使われる傾向にあるのは、何度か書いた通りですが、そこで使われるヤマハの特徴のひとつに現代的でオールマイティな音色と均一性と軽さがあります。ただそれが重量級の作品にはあまり向きません。
車の省エネ小型化じゃありませんが、録音技術の発達で音はクリアで克明にとれるから、ピアノ全体のパワーは小さめでも構わないといわんばかりの印象。
リストの作品は、ものによるとも思いますので一概には言えませんが、超絶技巧練習曲は詩的な面もじゅうぶんあるものの、全体としては張りの強いドラマティックな要素も濃厚に圧縮された、かなり精力的な作品だなので、この作品に聴くヤマハの音には、なんとなく中肉中背というか、ただお行儀よくまとまったピアノだという印象が拭えませんでした。
ピアノのパワーがもたらすところの迫りが稀薄で、人を揺さぶるような圧倒的な力がない。
ヤマハがいいのは、ロマン派ではシューマンやショパンまでで、リストになるとヴィルトゥオージティの発露を楽器が懐深く逞しく表現しなくてはなりません。ところが響きの中の骨格に弱さを感じるわけです。
まるで往年の名女優が演じた当たり役を、現代の可愛いけれども線の細い女優さんの主演でリメイクしたようで、まあそれの良し悪しはあるとしても、所詮は軽さばかりが目立ち、黙っていても備わっていた肉厚な重量感・存在感が不足してしまうようなものでしょうか。
そういう意味では、リストはそれ以前の作曲家と違うのは、先端のピアノの性能を縦横無尽にぎりぎりまで使いこなして作曲をしていたのだということが察せられることです。
このところ、日本製のピアノによるピアニストの演奏をあれこれと聴いてみて感じたことは、ヤマハにはもうひとまわりの逞しさと音響的な深みを、カワイには知的洗練を期待したいと思いました。
それでもなんでも、日本のピアノが海外で人気が高いのは、やはりその抜群の信頼性と最高レベルの製造クオリティによる安心感、それに価格がそこそことなれば、総合評価とコストパフォーマンスで選ばれているということのようです。
基本的に西洋人は、どうかすると芸術文化の地平を切り開くようなとてつもないことをやってみせる反面、バッサリと割り切ったようなものの考え方をする場合も少なくないようで、そういう際の合理主義とドライな部分は、我々にはとても及ばない苛烈さがあるようです。